いろいろあった1年でした。 夏至の少し前に夫が亡くなり、半年。夫の闘病中は本人の辛さを思うと、どんな困難も困難と思わない日々が続いていました。一緒に闘う同志のような気持ちでした。その同志を亡くし、一瞬はもちろん辛かったのですが、それも闘病中の夫を思えば、いかほどのものと乗り越えることができました。
それが、ここへ来ていろいろな意味で夫の存在が大きかったことに改めて気づかされ、糸の切れたタコのような、錨を失った船のようなありさまで、そんな自分を少し持て余してしまい、落ち込む日々が続いていました。 仕事で大勢の方にお目にかかれる私、多少、体調がすぐれないときでも、仕事となればシャキッとできたものですが、それすらあやしい。すべてを投げ出したくなりました。 もっと辛いときは平気で乗り越えられたのに、なんなんだろう……、などと思うとますます落ち込んでしまうのでした。
人間も次の人生に向けて、さなぎになる時期もあるのだろうと、ようやく思えるようになりました。さなぎでもいいさと開き直って、すべてを投げ出して、好きなことだけに数日、没頭しました。映画を見て、音楽を聴いて、本を読んで……。妹に会いに行き、両親に会いに行き……。 そんなこんなで、少しずつですが脱皮できそうです。
クリスマスの25日。こんなことがありました。 今月の中旬、「年賀状が作れなーい」と助けを求めてきたTさん、60歳過ぎの女性です。IT講習会で6日間だけ、ご一緒した方なのですが、お話を伺うと、うちの教室に来ていただくよりはお宅におじゃました方が早いのは間違いないようでした。時間がなかなかとれなかった私は、その役目をYさんにお願いしました。その折にはそれなりにできていたようなのですが、Tさん、やっぱり自分であれこれやろうとすると越えられないハードルの数々。今日、また電話があったのでした。これは私が行った方が話が早いと思い、出かけていきました。
Tさんが悩んでいたのは実に些細なあれこれです。しかし、使い慣れない方にとってはウィンドウサイズが変わっていたり、画面の倍率が変わってしまっただけでも一大事です。フロッピーとマイドキュメントの違いを認識するのも難しいし……。
パソコンを操作しながらあれこれお話を伺うと、Tさんのご主人は15年前からパーキンソンを患っており、長く自宅で介護されていらっしゃったのですが、この秋、容態が悪くなり、入院されたとのころです。Tさんご自身も10年前からリウマチを患っており、それはそれは大変な毎日だったようです。 それをあっさり、何でもないことのように言えてしまうTさん。傍から見れば「大変!」と思えることも乗り越えられるのは私も経験していることなので、私とTさん、なんだか近しいものを感じてしまいました。
「昨日のケーキの残りなんだけれど」と出してくださったケーキ、こんなに思いがたくさん詰まったクリスマスケーキをいただくのは初めてです。ご主人が入院中で一人暮らしのTさん。Tさんにしても、イブは一人だったけれど、クリスマスはなんだか騒々しい私と一緒でよかったと思ってくださっていることでしょう。それは、そっくりそのまま私もそうなわけで……。
無事、年賀状もできて、本当にうれしそうなTさん。うれしそうなTさんを見て、私もとってもうれしいわけで、お互いに何だかかけがえのないプレゼントを交換しあったような気分でした。 と、こんな気持ちが世界中に広がっていけばいいのに、と思ったクリスマスでした。
ありがたい曹洞宗の戒名をいただいて旅立った夫ではありますが、お店に「黙示録」とつけるぐらいだし、ジャズに傾倒したのも教会で聞く賛美歌がきっかけだったと言っていましたので、今日のあれこれは夫からのプレゼントだったのかな、と思っています。
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