■親の背を見て子は育つ、親はなくとも子は育つ。反面教師というのもあるよ。 ■『サイボーグ009』、新シリーズ突入。1話完結じゃなくなったのは放送延長になったから? ■改編期、3月末でいっぱい番組が終わる。とくに長寿番組の終焉には一抹のさみしさ。 『知ってるつもり』の「ティプトリー編」はついに実現しなかったなあ。見てみたかった。
体調不良につき、出歩かず家でおとなしくしてた(=いつものよーにだらだらした週末であったということ)。同人誌の〆切がのびたので、なにか描いて送ろうと思ってたのに、思っただけ。気分的にエンストしっぱなし。嘆息。
洋画劇場の『ナッティ・プロフェッサー』が面白かった。吹き替えの山寺宏一さんがまたすげー。二枚目も三枚目も、ギャグもシリアスもオカマ声まで、七色の声と芸がすばらしい。存在を意識したのは比較的最近なのだが(加持さん(エヴァ)のときですら注目してなかった)、意識してみると、実にいろんなところで声を耳にする。『宇宙船レッド・ドワーフ号』のキャットの声もこの方だったなー。以前から「声のいい人」にはヨワいのだが、「芸達者な人」にもヨワいと判明したようだ。
--- 週末、『彼氏彼女の事情』のDVDを見ていた。だいぶ忘れている。いや、かなり、ものすごく(主人公たちのフルネームを覚えてないくらい)忘れていた。大事なこともそうでないことも、えらい勢いで記憶が消えていっており、常にリフレッシュしないといけない。加齢のせいか生活様式のせいか、辛いことを忘れたい潜在意識のなせる技か、たぶんそれら全部の複合効果だろう。なんにせよ難儀なことだ。
奥手と言えば聞こえはいいが、ひたすらガキでオタクだった自分は、中・高校生時代には、恋愛するなどと考えたこともなかった。振り返ってみると、だいぶ人生ソンしたんじゃないか、と思うけど、精神的に成熟してなかったんだから仕方ない。現在だって年齢不相応にガキのままでありたいと思っていて、それはそれで問題なのだが、また別の話。 そーゆー甘酸っぱい後悔と追憶と思い出とがもろもろ噴出しつつ、ドラマを楽しみ、登場人物に感情移入しては一緒にこころを痛めたりもする。有馬くんも宮沢さんもとてつもなく努力家で優秀なので、ナマケモノの自分には、その精神世界は計り知れない部分が多々あるのだけど、それでも青年期のナイーブさには共通のものがあろう(と思いたい)。
宮沢父の昔話、いまの自分には直球で胸の真ん中にぶつかってきた。愛情深く育ててくれた祖父に恩返しがしたかった父の気持ち、それが果たせなかった悔しさ。原作を読み放映を見たときにも泣いたけど、今回もまたぼろぼろ泣いた。あーほんとにここんとこ、泣いてばっかりじゃん俺。 もちろん亡父のこととオーバラップして泣けまくったのだ。たくさんたくさん恩を受けて、独り立ちするまで育ててもらって、最後は背中を向けたまま別れてしまった。ケンカしてたというのではないけど、父はこちらを向いていなかったし、自分も正面から見ることをしなかった。きちんと向き合う努力をしていたら、もう少しだけ後悔しなくてすんだかも知れない。
親から受けた恩は子に返せばいい、と聞く。自分は子を生すことができないかも知れないから、せめて幸せに日々暮らしていきたい。遺伝子の半分とそそがれた愛情と、それを元にして自分で掴んできたものに、感謝と誇りを抱きながら。
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