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りょうちんのひとりごと
りょうちん
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2010年04月30日(金)
Vol.759 すべてのものに感謝したい

おはようございます。りょうちんです。

高校野球の選手宣誓で、最近流行っているコトバがある。流行っているというか、俺がよく耳にするなと思うのが「感謝」というコトバ。野球ができる環境に感謝とか、両親やチームメイトに感謝とか。野球観戦に行って出会う球児くんの持っているグラブや帽子にも、「感謝」と書かれた文字を時々見つける。人それぞれ感謝という意味の取り方に違いはあると思うが、ホントに感謝の意味を考えて使ってるのか、と思うことがある。別に彼らが本当に感謝しながら野球をやっているかもしれないのだが、少なくとも俺が高校生の頃は、感謝の意味すら真剣に考えたことはなかった。
日々の生活の中で、当たり前だなんてことはひとつもない。ありふれた日常で昨日と何も変わらないように思えても、昨日とまったく同じ今日は一度もない。小さな変化でも必ずどこかに起きていて、この世の中のすべてのものにタイムリミットがある。だから昨日まで続いていたことが今日はもう存在しないかもしれないし、逆に今日から新しく始まることもあるだろう。そう考えると、昨日と同じような今日が来るなんて当たり前なわけがない。そういった変化に気づくことこそが、喜びであり幸せなのだ。
だから俺は、すべてのものに感謝したいと思う。朝起きておいしく食事ができること。仕事に行って忙しく働くこと。相方や両親たちと話ができること。昨日ととても似ていて小さな変化を見落としてしまいそうな、そんなの当たり前だと勘違いしそうなちっぽけなことは特に、感謝をしたいと考えて生きている。そう思うことによって、すべてのものが愛しく感じてくる。そして愛しく思えば思うほど、より感謝をしたくなってくるのだ。
そういえばこんな話、以前にもひとりごとで書いたことがある。なんだかちょっと悟りを開いたみたいで、お坊さんにでもなっちゃったようだと自分でも思うのだが。でもこんなふうに考えるようになったのは35歳を過ぎたあたりからで、やっぱ高校生の頃は何かをしてもらった時に「ありがとう」と言うのが感謝だと思っていた。ていうか、高校球児の大半も、そういう意味で感謝というコトバを使っているんだろうな。