ブックス
DiaryINDEXpastwillaboutbk1



2002年05月02日(木)   美しい子ども/石田衣良


あまりに重い話で考え込んでしまい、2週間もかけて読みました。薄い文庫なのに。
この話、事件後に焦点を当てているが、その事件の犯人っていうのは最初から読者にもわかっている。本の帯に”弟は、なぜ殺したんだろう?”ってコピーがあるから。そのコピーのとおり、主人公は自分の弟「夜の王子」がなぜ殺人を犯したのかを探っていく。
読んでいるとすぐに気づくのですが、この話はあの神戸の事件をモチーフにしている。5年前のあの事件、私は当然マスコミを通してしかその情報を得ることはできなくて、つまりその情報はマスコミによって、事実に何らかの加工が成されて、良く言えば研磨、悪く言えば歪曲されたもので。そんなことに私は気づくこともなく、踊らされていたってわけです。(まあそんなにこの事件に熱くなっていたわけではありませんでしたが。)マスコミって、何を目的として、情報を伝達しているのでしょうか。その姿勢って、あまり見えませんよね。でも、情報に踊らされているからといって、情報を流すマスコミだけに責任があるのではなく、受ける側にも情報の中から事実を見極め操られない力が必要になるでしょう。
事件がある限り、そこには被害者と加害者だけではなく、それぞれの家族、それぞれの住む地域がある。事件はそれらの広い範囲に、何らかの生活の変化を強いる。でも事件をおこす加害者だけが特別なのではなく、誰の中にも「夜の王子」がいる。その「夜の王子」を自ら見失なったとき、人は加害者になってしまうのかもしれない。本人が理解できなくなった「夜の王子」でも、誰かか本人に代わって、その存在を認めることができたら、理解することができたら、事件はおこらないのかもしれない。
石田氏の本を読むのは2作目ですが、氏の書くものって、決して後味すっきりとは言えない。読後には、やるせなさと無力感を感じてしまう。そして、自分の立っている場所のもろさに気づいてしまうんですよね。



「弟にも誰かがそばにいてやらなきゃいけない。誰かわかってやる人がいなくちゃって思って。殺人犯を相手にそんなことを考えるのはおかしいんでしょうか。だけどあいつはぼくの弟なんです」


石田衣良:美しい子ども,p.138,文藝春秋.






ゆそか