月のシズク
mamico



 黙祷の30秒

またしても撮影に向かうため、昼間の電車に乗る。
今日の東京地方は紛れもない春でして、薄いスプリング・コートすら暑い。
日差しも紫外線が目に見えるくらい強く、おそらく花粉も跳びまくっていただろう。

うとうとと揺られていたら、途中の駅で女子高生が乗り込んできた。
高い声のトーンと、ハツラツとした発声。思わず眼を開いた。
なんと、剣道の防具とピンクの竹刀袋をしょった、制服姿のふたりの美少女。
鼻のアタマに汗をのせ、ストレートのサラサラ髪をかきあげる。
おお、眩いばかりの若さ光線なり。

そういえば、私も中学生の頃、剣道部に所属していた。
なぜ剣道かって? なんででしょ(笑)
んーと、武道をしてみたかったのです。

元々チーム・スポーツが苦手だったということも理由かもしれない。
剣道は個人戦と団体戦があったけれど、試合はいつも一対一。
「心・技・体」のモットーの通り、私はめきめきと鍛え上げられていった。
夏の道場はサウナ状態で、紫袴の腰当てに塩がふいていたり(外は灼熱だ)、
真冬の最中には、素足がしもやけのように赤く腫れ上がった(外は雪だ)。
そして、何よりも、むんとした汗の臭いが強烈だった(笑)

日本の伝統的なスポーツは、「沈黙」の中で行われる。
試合でも、バスケットや野球のようにチアーリーディング的な応援は御法度だった。
しんと静まりかえった道場に、選手の鋭い叫びのような「気合い」の声と、
技が決まったときに湧き起こる、会場からの短い拍手、のみ。
静寂と沈黙の中で、選手の魂が輪郭をあわらにする。

武具で固められた私は、自身の輪郭を体感し、自身の存在を確認できた。
刑務所の柵の内側から外界をのぞくように、面の中から世界を見た。
私は自分の魂と、相手の魂が対峙するのをいつも感じた。
たぶん、試合の結果はこの時、既に決まっているのだろう。
自分からも、相手に対しても、眼をそらさない。
じっと沈黙の中で魂のみを見つめる。

練習の後には全員が武具を外し、30秒か1分ほどの黙祷をささげる。
禅を組み「もくとう」という声と同時に、薄目をつぶる。
私はこの短い時間が好きだった。

眼をつぶると、心の眼が開く。
わたしは、何もかもがそこに見えることを知った。
まだ14、15歳の頃の話だ。

天真爛漫な女子高生を見ていたら、記憶がタイムスリップしてしまった。
そうだ、実家にある木刀、護身用に持ってこようかしら。
あ、でも、機内持ち込みでひっかかるね、おそらく。
うりゃっ



2002年03月14日(木)
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