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■ 「たしなめられる」ということ
もともと「揺れやすい」性質をしているのだ。 未知なものにおののき、衝撃にひるみ、過去にさえおじけづく。 こういうのは繊細だとは言わない。ただ、臆病なのだと思う。
胃痛の原因さえ突き止めることを怖がり、知らないふりをしていたら、 「ちゃんと心の内を見たまえ」と医師に叱られた。しゅんとなる。 きっとそれを見付けてしまったら、私はよけい具合が悪くなるだろう。 だから、見ないふりをする。
そんな状態で、原稿の締切はとうに過ぎ、適当に見繕ったものを送ったら、 編集長に「つまらないよ。どれも。」と一蹴され、ふたたび、しゅんとなる。 「やっぱり今回は無理です」と弱音を吐くと、「明日の夜まで待つから、 ギリギリまで書いてみろ」とハッパをかけられる。 悔しくて、つい「はい」と返事をする。
仕事中、女ともだちにメイルを送り、「ダメだ。揺れてる」と吐露する。 数分後「しゃんとしなさい」と一行だけ、返事がかえってくる。 それを見た瞬間、丸まっていた背筋にピシッと力が入る。
よわっちい私は、ことあるごとに「ダメだ」「無理です」「できません」と、 この世の終わりのように騒ぎ立てるので、わたしの揺れやすい体質に馴らされた 友たちは、まことに効果的に私を律してくれる。どうやら私の弱音というのは、 同時に、「お願い。今すぐ言葉でたしなめて」と強烈に懇願してくるらしい。
嗚呼、皆とうに知っていたのだ、と私は気恥ずかしくなる。 でもね「たしなめられる」、ということは、「守られている」ということでも あるのです。みなさん、本当にカンシャしています。ありがとう。
2002年09月17日(火)
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