月のシズク
mamico



 「たしなめられる」ということ

もともと「揺れやすい」性質をしているのだ。
未知なものにおののき、衝撃にひるみ、過去にさえおじけづく。
こういうのは繊細だとは言わない。ただ、臆病なのだと思う。

胃痛の原因さえ突き止めることを怖がり、知らないふりをしていたら、
「ちゃんと心の内を見たまえ」と医師に叱られた。しゅんとなる。
きっとそれを見付けてしまったら、私はよけい具合が悪くなるだろう。
だから、見ないふりをする。

そんな状態で、原稿の締切はとうに過ぎ、適当に見繕ったものを送ったら、
編集長に「つまらないよ。どれも。」と一蹴され、ふたたび、しゅんとなる。
「やっぱり今回は無理です」と弱音を吐くと、「明日の夜まで待つから、
ギリギリまで書いてみろ」とハッパをかけられる。
悔しくて、つい「はい」と返事をする。

仕事中、女ともだちにメイルを送り、「ダメだ。揺れてる」と吐露する。
数分後「しゃんとしなさい」と一行だけ、返事がかえってくる。
それを見た瞬間、丸まっていた背筋にピシッと力が入る。

よわっちい私は、ことあるごとに「ダメだ」「無理です」「できません」と、
この世の終わりのように騒ぎ立てるので、わたしの揺れやすい体質に馴らされた
友たちは、まことに効果的に私を律してくれる。どうやら私の弱音というのは、
同時に、「お願い。今すぐ言葉でたしなめて」と強烈に懇願してくるらしい。

嗚呼、皆とうに知っていたのだ、と私は気恥ずかしくなる。
でもね「たしなめられる」、ということは、「守られている」ということでも
あるのです。みなさん、本当にカンシャしています。ありがとう。


2002年09月17日(火)
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