月のシズク
mamico



 放心にココア

告白してしまうと、ちょっとした放心状態がつづいている。
原稿提出、ツアーのファイナル終了(とても切ない終わり方だった)、
久方ぶりの風邪っぴき、オーケストラの演奏会、それらの隙間に挟まれた
細々とした、しかし、とても重大な会話たち(言葉には責任がある)。

どうしたことか、と自問し、どうもできぬ、と自答する。
次の原稿の資料だけは、わさわさと集めてあるが、思考も筆もまったく進まぬ。
おまけに声変わりした少年のような、中途半端なダミ声だけが耳障りに響く。

本番後の打ち上げの後、吉祥寺に戻ってきて、いつもの秘密結社カフェに潜る。
髪をばっさりと切った店長さんが「あれぇ、そんなヒドイ風邪で大丈夫でした?」
と、右側に抱え持ったチェロと、左手に持った鞄に突っ込まれた花束を見る。
深夜1時閉店で、ラストオーダーもとっくに終了してしまっているというのに、
「一杯だけ、いいかな?」と訊くと、「もちろん」とチェロを預かってくれた。

「死ぬほど甘いココア」をリクエストすると、「死なない程度に甘いココア」
を持ってきてくれた。瀬戸物の茶碗に入った甘くて熱いココアには、ミントの
葉がのっていた。私はまずそれを、何かの儀式のようにむしゃりと食べる。

冷えた指先で茶碗をくるむと、不思議に心が落ち着いてきた。
店の中は、地元の若者たちのグループが一組、カップルが二組、
そしてくたびれたオンナがひとり。カウンターの中の店長と眼が合ったので
「おいしいよ」と伝えた。音楽が大きかった上に、私の声は周囲の雑音に
紛れやすいので、きっと店長は私の唇を読んでくれたのだろう。
わらって小さく頷いてくれた。

生きる、という行為はとても激しく過酷なので、たびたび鎮静剤が必要になる。
それは本物の薬ではなく、音楽であったり、言葉であったり、食べ物であったり、
ココアであったりする。とりあえず、今の私の症状には、ココアが特効薬である。


2002年11月11日(月)
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