月のシズク
mamico



 夜話

気が付いたら、暖房も音もない部屋でぼんやりしていた。
時折、アスファルトを蹴散らすタイヤの音がベランダの外から聞こえる。
どれくらいこうしていたのだろう、と考え、そして考えるのをやめた。

最近、煙草の銘柄を変えた。
「新年から禁煙」の決意は「新年から節煙」になり、「もらいタバコ」を
モットーにしてみた。モチロン、そんなヤワな反復楽句は軽く打ち破られ、
今でもベランダに出ては、とろとろと麻薬的乾燥草を摂取している。

部屋の電気を消し、コンポにjazzmastersのCDを突っ込んでベランダに出た。
音は、闇の中でこそ、その形状が露わになる。触れらないのに、確かにあるもの。
どこかへ向かう乾いたタイヤの音が、夜の空気を細かく震わせ、カーテン越しに
女性ヴォーカルのやわらかな声が、くぐもって伝わってきた。
夜の音。馴染みきったその音の破片たち。

なかなか心がしっかりしなくて、それはもう新作ドラマ「僕の生きる道」の
つよぽんのように「とほほ」な状態なのだ。ベランダのガラスに見事なまでの
とほほ顔がうつる。あまりヒトとして機能していないときのアタシの顔だ。

「それはつまり、よくあるマミコ的状況なわけでしょ?」
気の知れた男トモダチは、昔そういっていた。励ましたつもりだったのだろう。
不器用な奴だ、と思い、いい奴だ、とも思う。

空は曇っていて、うすぼんやりとした夜だ。ためしに「宵待草」をうたってみる。
「待てどくらせど 来ぬひとを 宵待草のやるせなさ 今宵は月も 出ぬそうな」
まったく、月ぐらい出ていてくれよと空を仰ぐ。

そんなアタシを、ほっそいお月さんがわらっておった。


2003年01月09日(木)
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