月のシズク
mamico



 妻を持つということは

私は女なので、妻を持つということはできないけれど、
きっと妻のいる生活というのは、こういうものなのだろう。

マンションの階段をのぼりきる前に、夜の冷気にゆうげの匂いが混ざっていた。
私の部屋のドアに近づくにつれ、温かく美味しい匂いが濃くなってゆく。
鍵を使ってドアを開くと、灯りのついた部屋から香ばしい空気があふれ出た。

「おかえりーっ」
エプロンもしないで台所に立つ妹ちゃんが、嬉しそうにふりかえる。
テーブルの上には、パセリが束のまま花瓶に活けられ(菜の花も一輪混じっていた)
色とりどりの春野菜を使った料理が並ぶ。何ともにぎやかな食卓だ。

「今、パスタを茹でてるから、もうちょっと待ってね」
私は新妻の待つ新居に帰ってきた、幸福な夫のような気分を味わう。
仕事の続きをしようと、マシンを立ち上げたときに、「おまちどうさまっ」
と、整えられた食卓に呼ばれた。まったくこれでは、ダンナさんだな、と思う。

数時間前、とっくに帰宅したはずの妹ちゃんからメイルが入った。
【諸事情により・・・今晩泊まりにいったら都合悪い?春野菜したい】
彼女の諸事情はともかく、春野菜は私も大歓迎、ということで【買い出しと支度を
一任する】、という条件のもと、彼女に合鍵を渡してマンションに帰らせた。
ともかく、ふたり分とは思えないほどの、盛大な春野菜が並ぶ。

パプリカ、ブロッコリー、アスパラを茹でたサラダ、
菜の花とベーコンの和え物、ディップが数種類、
キャベツとベーコンのコンソメスープ、
アンチョビとキャベツのパスタ、それにギンギンに冷えた白ワイン

花瓶に活けられたパセリをちぎりながら、料理といっしょにむしゃむしゃ食べる。
「これじゃぁ世のオトコどもが、アタシに激しく嫉妬するだろうね」
と、本気ともつかない冗談を言ってみる。「いい奥さんになるよ」というベタな
褒めコトバは、こういう場合、無益なことも私たちはよく知っている。

翌朝、私は夫ぶってシゴトにゆく。
外に出てふりかえると、妹ちゃんは、ベランダからひらひら手を振っていた。
夜、帰宅すると、彼女は既にどこかへ帰ってしまった後だった。
冷蔵庫やら洗濯機やらシンクやらが、ぴかぴかに磨きあげられている。
まったく、これでは不意に消えた妻のようではないか。

私は女なので、妻を持つということはできないけれど、
きっと妻のいる生活というのは、こういうものなのだろう。


2003年04月23日(水)
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