泣きっぱ - 2004年08月22日(日)
実をいうと、昨日の夜から泣きっぱなしである私。 一つは理由があって、後はもう訳が分からなくなってる。 それで眠れなくて朝になってしまってから寝たんだけど 昼頃、起きた時は泣きすぎが原因か頭痛はするし 顔は鏡見なくても、ぶっさいくなのが分かるほど瞼が腫れてる(死) 起きようと思っていたけど、頭痛薬飲んで横になってたら 又、寝てた(またしても死) 頭痛は治まってたけど、体が異常に重くて暫くは動けなかった。 瞼? ぼってり。てんこもり。 時間はもう、夕方を周り(どうしよっかなぁ。。。)なんて思ってた。
あっ!!
今日って「24時間TV」じゃん。(正確には昨日からね。笑) この番組って、もう何年やってるんだろうか? この番組については、いろんな噂を聞く。 私も本音を書いてしまえば、けっして好きな番組ではない。 理由は、ここで書くと批判の声を頂戴するかもしれないが どこか、偽善な気がしてならないのだ。 本当に、あのお金全てが寄付金として役にたっているんだろうか? あちこちで設置されてる募金箱も、本当に番組の為に使われてるのか? 何故ここまで、見事なまでに(笑) ひねくれた考えを持ってしまったかというと・・・。 まぁ、もともとが ひねくれた人間なんだろうけど 数年前、とある仕事場で募金箱が設置されてて そこに入っている小銭をレジ金を合わせる為に、 店長自らが箱の中身から出していたのを何度か目撃したからである。 買い物で立ち寄った店でも、客である私の前で堂々と店員が それらしき事をしていたのを見た。 これは、番組そのもののせいではないし 人としてのモラルの問題であると思うけれども、 どうも私は、それ以来番組を観ても疑問に思う事が出てくるようになってしまった。 ただ、そんな中でも障害者の方達の頑張りや手助け?を 芸能人の方々が手伝って、何かを成し遂げるとこや 番組名物のようなマラソンには、胸打たれる事はある。 「24時間TV」といっても、メインパーソナリティが24時間ずっと 起きて頑張っていると信じていた頃は、大変だなぁと思った事もある。 (これは後に、番組の裏側みたいなものを観た時に なんだ寝てるじゃんと 思ったけど) そんな番組に対し、今年はマラソンランナーが気になった。 最近、バラエティーでだいぶ砕けたイメージを出している杉田かおるさん。 何故、この方が気になったかというと 彼女の昔出ていた番組を現役で観ていたのと (小林聡美さんとかも出ていたあれです。分かるかな) その後、彼女の波乱万丈な人生を手記で読んだ事があるから。 彼女の人生そのものを私が知る由もないけれど 手記で読んだ時は、かなりショックを受けたし 自分と重なったとこがあった。
走りきれるだろうか?
気になった。彼女が走る姿を見てみたかった。 走っている。運動にまるっきり縁が無いと言っていた人の走り。 日頃TVで観る、杉田さんではなかった。 何かに向かっている。そんな目をしていた。 その姿を観ただけで、私はまたしても泣いていた。 時折、歩く姿にゴールは番組中には無理か・・・と半ば諦めに似た気持ちで 私は観ていた。ところが。 彼女は違った。会場が近づくにつれ、スピードがぐんぐん上がるのである。 そして笑顔までも見せるのである。 強い。この人は強いと思った。 ラストスパートをかけた彼女は、何かを振り切ったような 一人の女性として、強さと優しさに溢れた顔で会場に戻った。 「人前で泣くのは、嫌い」とアナウンサーが杉田さんの言ったらしい言葉を 言う。その言葉の通り、彼女は泣かなかった。 込み上げるものを必死で笑顔に変えていた。 「一番、苦しかったとこはどこ?」という問いに 杉田さんは言った。
夜になって辺りが暗くなった時に走っていたら、 昔のどん底の時の事が次々浮かんできて恐かった
乗り越えたんだと感じた。 彼女は、きっと自分の中にある何かを乗り越えたんだって。 番組でかつて共演した方が言った。 「15歳の頃の邪気の無い顔になっている」と。 私の瞼は、おかげでまたてんこもりもりになり これまたついでに、昨日からの理由ある事までも思い出し 哀れな顔となってしまった(本日3度目の死。笑) でも・・・。 杉田かおるさんて女優さんに何か教えてもらったなって思う。 なんだか分からない。 ただ。できない事はあるかもしれないけど、やるだけやってみようよって そんな事、画面の向こうから言ってもらったような そんな気がした。 夢は必ず叶うとか、そんな確信もない言葉は私は信じない。 やってみても、損はないかもよ? そんなメッセを頂いた気がしたんだ。 昨日から湧き出てくる涙の理由も 私にとっては、これから先ずっと続く事になると思う。 良くても悪くても。 それも、なんていうか・・・。 はっきり書けないのが、もどかしいけど (他言はしないと決めてるので) その事で泣いても笑っても、 どう転ぶか分からない人生の一つとして やっていくしかないと思う。 アイナンテイラナイこれだけは変わらない。 もらうほどの人間じゃない。 あげるほどの器もない。 そもそも意味が分かってない。学べなかった。 学ぼうとして学べる事じゃないから。 教科書や本に書いてあるような簡単な事じゃないと思うから。 人生を終える時に初めて気づく事かもしれない。 気づかないままかもしれない。 それでいいと思うことにしてる。 そして。 ここに「泣いた」と書く事は今夜限り無い。 どこにも残さない。そう決めた。
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