徒然草日記...至都

 

 

身の処し方 - 2002年08月10日(土)

引き際というのがある。
此れは登場するよりも或る意味重要であると思う。

登場は華やかでも地味でも
其の経過によっては如何様にも変わることができるが
引き際というのは此れが最後ということなので
その後の変化はもちろん望めず
それまでの評価が如何様であろうとも
場合によってはそれら全てが覆る可能性を常に秘めている。

逆説的に捉えれば引き際が鮮やかであれば
それまでの評価が芳しくなくとも
ヒトの記憶に麗しく残ることができるということだ。

最近時のヒトと云われる方々が表舞台から去っていくが
それが本人の望むと望まざるとに関わらず
記憶に麗しく残る引き際を演じられることが少ないように思える。

自らは悲劇の主人公として振る舞っているつもりでも
自己中心的な独善にしか見えない場合それは醜く空しい。

飛ぶ鳥跡を濁さず。はかなり困難な趣である。


...




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