ふうこの英国留学日記-その後

2002年06月30日(日) ブラジルの優勝と個人の存在意義

ブラジルがワールドカップで優勝した。
ブラジルはやはり強く、ロナウドのゴールは美しく、決定的なものだった。
そこには、運が悪かったとか、惜しかったとか、もう少し・・・だったら、
と妄想を入れる余地は見られなかった。
ブラジルチームは最後まで勝つために必死だった。

私は後半戦を大学のカフェで1人で見ていたのだが、(偶然にも知り合いのインド人がブラジルのサポーターとして座っていたので、同席させてもらった)
自分が試合に興奮し、血沸き肉踊るのをひしひしと感じた。
私はサッカーのことは良くわからないが、ロナウドが二つ目のゴールを決めるまでは、一瞬の隙もないようなすごいテンションの試合だったと思う。

両国のキーパーの能力は凄まじく高く、他の国だったら決まっているであろう
数多くのシュートを押さえ、後半67分までは0−0のままだった。

最後、ロナウドが選手交代でフィールドの外に出て、監督やコーチと抱き合って
泣いているのが映った、感動的なシーンだった。それと同時にドイツはもうやる気を失くし、点をとりにいく気力も見られなかった。
負けるに違いないとわかっていても、最後の瞬間までゴールを目指してほしいと思うのは、私がおかしいのだろうか?
最後の10秒でゴールが決まることもある。勝ちが欲しいなら、最後まで諦めずに、闘うべきだと思う。
ドイツは素晴らしいチームだった、しかし、勝つことへの渇望と気迫と情熱はブラジルのほうが勝っていたと思う。

ハングリー精神ということを思い出させてくれた試合だった。
私もがんばろう。。。

もう一つ、ブラジルのプレーを見ていて、思ったのは、個人のプレーヤーの存在感だった。最近、あることによって、自分の存在意義について、考えるようになり、かなり落ち込んでいたのだが。。。

スポーツの世界ほど厳しい世界もないだろう、一つのファインプレー、一つのミスによって、社会的に抹殺されたり、英雄になったりもする。その代わり、とてもわかりやすい。。。勝利に貢献したプレーヤーは、周りからその存在を賞賛され、その人間の価値はとてつもなく高くなる。

しかし、社会的に賞賛されることもなく、日々をいきる私のような人間はどこに自分の存在価値を見出すことができるというのだろう、ボランティア活動をして、社会貢献? 仕事で周囲から認知されること? 家族や恋人に必要とされること?
社会に貢献もできず、これといって特別誰からも必要とされず、それどころか、周りの人間の助けによって支えによって、やっと生きている、そういう人間はどこに自分の存在意義をもてばいいのだろう?

就職雑誌を読んでいると、自分の市場価値とか、客観的評価とかそういうことばかりが目に飛び込んでくる。ある市場において価値がないと判断された人間はどうやって、自分のプライドを保てばいいのだろう? 人間の価値なんて、就職市場で測られる、そんな簡単なものじゃないと思いたい。
お金を稼ぐことのできる人間は価値が高くて、稼げない人間は価値が低いのだろうか? 経済活動に貢献できる人間は価値が高いというのだろうか? 

現実問題、現代の社会で生きていくには金銭が必要な場合がほとんどで、多くの場合金銭は労働に対する対価として支払われる。。。このシステムの中で、人間はその労働力で価値を判断される。。。または、持ちえる金銭の額によって。
それを、とても重苦しく感じながら、絶望的になりながら、私にはこのシステムに対するどのような反抗のすべもない。。。


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