ふうこの英国留学日記-その後

2002年11月01日(金) 価値のない女

以前からずっと観たかったフォッシーが監督した映画「キャバレー」をスクリーンでみることができた。1972年のアカデミー賞受賞作品だ。

キャストが最高。特にライザ・ミネリは彼女にしか演じられないであろうサリーを作り出していた。
歌、ダンス、身振り手振り、メイク、衣装。どれをとってもこの役のサリー
でしかない有りよう。
本当のベルリンがどうだったのかわからないが、退廃とファシズムの足跡を聞く
ここで描かれているベルリンの風俗は危うさを含んだ美しさで、古びることなく
観る者を魅了する。

途中、サリーが、映画関係者の男性に約束を反故にされ、
"He does't care me. I am not worth to care. I am.... I am nothing!"
と嘆くシーンがあった。
画中の彼女はとても存在があって、もちろん価値のない女からはほど遠いのだが、
彼女がつぶやくこの言葉は私に重く響いた。

尊敬や愛情を抱く人物から粗雑に扱われると、どうしも傷ついてしまう。
自分の存在価値なんてないんだと思う。
価値や能力がなくても、生きていきたいと思っているというところが、辛いところ
なんだろう。


自分の魅力や価値になんて考えたくもないけど、そういうわけにもいかない。
どうしても、社会や人との関わりのなかで人は思い知らされていく。
多くの場合、私は、自分の実力や容姿の美しさや、魅力のなさを思い知るたびに
悲しみ、落ち込んで自信を喪失してきた。
それが辛くて、気づいていても、はっきり認識しないよう誤魔化そうとすることもあった。
そして、だんだん年をとるにつれ、この程度かな。。。と客観的に落ち着いて考え、現状を受け入れられるようになってきたと思う。

いろいろな人と話をするうちに、たいていの人が、自分なんてなんて意味のない存在なんだと、思って眠れない夜を過ごした経験をもっているんだな、と気づいた。
だから、私なんて、自信なんてなくて、価値なんてなくて当たり前。と思ったら楽になった。

価値と意味は違う。私に価値がなくても、私の生は少なからず他人に影響する。
私によって、傷つけられたり、何かを失ったりした人もいる。
どんな人間もその大小に差はあるけれど、社会に影響しているのだ。
私の生は良い悪いにかかわらず、なんらかの意味(作用)を生み出している。

願わくば、価値はなくとも、A Small, Good Thing (ささやかだけれど、役にたつ)でありたいね。





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