ふうこの英国留学日記-その後

2003年01月07日(火) 淋しさとその先にあるもの

今日はとてもとても寒くて、夜映画に行くのを止めにした。
レイクサイドという名のとおり、私の住む寮の周りには池がめぐらされているのだが、夕方5時の時点で、池の表面が全部完全に凍っていた。
一体朝と夜はマイナス何度になるのだろう?

今週末、私は日本食のニューイヤーパーティーを主催する。
いろいろな知人に声をかけていたら、招待した人とフラットメイトを
あわせたら20人近い人が集まるパーティになってしまった。

シンガポリアンのダニエルが買い出しに車を出してくれることになって
ホッとしている。こんなふうにパーティーを開くのは初めてなので
ちょっと心配。私らしく、気取らずにやりたいと思うのだが、
パーティーを何度も主催した経験者の澄子などはいろいろアドバイスをくれて
そっか。。。そういうところも準備しなくちゃいけないんだ。。。
と気付くたびに、ちょっと心配になってしまう。

あとは、もう急いで勉強モードに戻らねばならず、かなり焦っている。
Joyからもらったコメントをじっくり読んだら落ち込んできた。
彼女のアドバイスはもっともなことばかりなのだが、
そのレベルまで行かないのが問題なのよね。
果たしてあと二週間で求められてることが書けるのかしら? 

はあ、でも頑張るしかないよなあ。。。とため息。

そんな中、1人で晩御飯を食べていたら、ふと不思議な感覚に襲われた。
数日前まで、実家で母の手料理たべていたんだよなあと。
もう、こちらに戻ってからは、毎日自炊でパスタとかジャガイモの日々だもの。

私はお正月の間、実は落ち込んで泣いてばかりいたのだが、それも家族がそばにいたから気持ちに甘えがでたのだろう。
イギリスに戻ると、孤独でも、辛くても泣く気にならない。そんな暇などないし、泣き顔見せられる相手もいないし、そんな場合ではないという感じだ。

ふと、窓の外のイギリスの早い夕焼けを見ていたら、日本の家族や友達をとても愛しく思った。数日前までとても近くにいたのに、もう、しばらく会えないという事実がまるで嘘のようだ。私の大好きな親しい人たち。元気でいて欲しいと心から願う。会えなくて淋しいと思う人たちがいるということが、私にとっては幸せなことなんだろう。会いたいという思いがなければ、淋しく思うこともないのだろうから。

去年は、知人の多くが結婚したり、恋人と住み始めたり、パートナーを見つけたりして、未だに精神的にも現実にも独り者の私には淋しさが身に沁みることも多かった。羨ましく思うと同時に、心から良かったね、友人や知人の幸せな顔を見ながら何度も思った。私に好きな人たちが幸せそうなのを見るのは本当に嬉しいことだ。

そうそう、年末に「ヘドウィグ・アングリー・インチ」という映画を観た。
感動した。求めよさらば与えられんと言うように、求め続けるしかないのかなと思った。裏切られても、蔑まれても、毅然として愛を探し続けるヘドウィグはとても美しかった。おこがましいけれど、見習わなくちゃと思った。少しでもあんなふうになれたらと思った。本気の人間にしかない迫力のようなものが彼にはある。

私は、馬鹿だし、弱いし、怠けものだけど、時々、本気になって何かをやった時もあった。それは無計画だったり、非能率的だったり、はたから見たら道化みたいなものにしか見えなかったかもしれないけれど、私は時々は、本気になって怒ったり、闘ったり、悲しんだり、愛したり、勉強したり、仕事したりしてきたと思う。

私は今まで、何も成し遂げられなかったし、何のプロにもなっていないけれど、本気の人間がもつ迫力のようなものが身につけられたらと思う。
かっこ悪くなることを恐れないで、みじめでも真剣でいつづけたいと思う。

こんなことを書くのも、真剣に真面目に生きている友人や家族と会ったり、久々に
メールをもらったり、したからだと思う。みんなが真剣に、真面目に生きているのを目の当たりにして、自分ももっとがんばらなくちゃと思わされた。ありがたいことだ。



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