ふうこの英国留学日記-その後

2003年02月17日(月) 利益と欲望と戦争と


今、イギリスのニュースはイラク情勢に関する情報(といっても主にアメリカの動向だが)で溢れています。。。

私はは、チョムスキーのMedia Controlという本を読んでいる途中で、いろいろ考えさせられることが。
今学期のレポートでは、ニュースを素材にして、マスメディアにおける翻訳が異文化コミュニケーションの媒体になっているということを書こうかと思っています。
アメリカのメディアがいかにアメリカが国外で行っている殺戮について
語らないか。。。いかにアメリカ人は知らされていないか。。。
情報操作と一言でいうと簡単だけれど、今のように、メディアが増えて情報が氾濫している中では、その実体は複雑に入り組んでいるようです。

日本の外務省の「国益のためにイラク攻撃への賛否は表明しない」は
情けないと思いました。国益って。。。アメリカが実際は一枚岩でないように、
日本も一枚岩ではない。国益が意味する利益ってなんなんだろう。
賛否は表明しないということは、日本としての意見を表明することができないほど
日本はアメリカに対して弱い立場にあるということを明らかにしているだけじゃないの。イギリスはアメリカと一緒になって戦争をしようとしている側だけれど、先の土曜日にロンドンでは大規模な反戦デモが行なわれた。
私は行かなかったけれど、私のいる大学からもバスが何台もチャーターされ、デモに参加する学生を運んでいた。私の友人の何人かも土曜の早朝に大学からバスに乗ってロンドンへ向かった。

私がこちらで友人になったアメリカ人は、アメリカのイラク攻撃に対して皆批判的なので、ブッシュに心から賛成している人は実際どこにいるんだろうと感じる。行くところに行けば、いっぱいいるのだろうが。

自分が国籍をもつ国が、自分の帰属する国が、自分個人の思想や意向とはまったく異なる方向にどんどん過激に進んでいくとき、個人はどう対処したらいいのだろう?それも異国にいたら、その国に属するものとして周囲からは見られ、居心地の悪さを感じながら、言い訳をしてもむなしく、葛藤を感じ続けるだろう。
国家の行為を個人の責任に置き換えることは難しい。
韓国人の友達が、ある日本人男性と知り合いになったとき、彼は彼女が韓国人だと知るや、謝罪を始めたそうだ。「日本人が韓国人に対して過去に行なってきたことに対して、いち日本人として心から謝罪したい」と頭を下げたという。
彼女は現代的な人なので、驚いて、なんかそこまでする彼に違和感を感じたと言っていた。
私は日本人である。けれど、日本政府の発表する意向は私のもとのは一致しない。
国民はそれぞれ、個人として意見や思想をもつ権利が許されている(はず)。
しかし、もし日本において多勢の個人が、「自分の利益のために、ことの賛否については表明しない」となってしまったらどうなるのだろう。
中国人の友人に言われた。
「中国では日本がいかに中国を残忍なやり方で侵略したかについて学校で習う。僕は、日本人の友達も多いし、日本のドラマやゲームも大好きだだ。なんで、こんなに穏やかで優しい国民性をもつ日本人が、戦争の時にあんなにも極端に過激になれたのか不思議に思う」

私もそう思う。大勢の外国人に、日本人は穏やかで優しく、礼儀正しく、思いやりがあるというようなことを言われる。でも、その一方、完ぺき主義で、容赦なく、
計算高く、規則に厳格なところもあると私は思う。
1人の人間の中に美徳と欠点が相反しながら共存するように、国家もひとつの人格のようなもので、短所と長所を矛盾しながら内包しているのではないか。そして、その欠点と美点はもっともっと複雑な形で影響しあい、お互いを変化させていく。

私は私という一つの意志を持った有機体で、自分が何をしているのかを自覚し、コントロールしようとすることができる(難しいこともあるが)。
国家が一つの有機体のようなものだとしたら、一体何が国家をうごかしているのだろう。ブッシュを動かしているものは何なんだろう? 利益? 誰のための?
彼のための? 次回の選挙で勝つため? 中東でのアメリカの権力と利益を守るため?

私にはわからない。でも、アメリカが戦争を起こすことで利益をえる人間がいることは確かだろう。誰かの利益のために、大勢の人間の人生が、幸福が、命が犠牲とされる。そうやって、歴史は繰り返されてきたんだろう。

私はとても欲張りな人間だと自分で思う。時にそれを疎ましく思う。
人間というものが欲張りである限り、戦争はなくならないのかもしれない。




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