ふうこの英国留学日記-その後

2003年03月25日(火) 食べることは生きること

うーん、最近、イースター休暇に入り、授業がなくなって暇になるはずか、忙しい。
3月だけで2回、日本料理を教えてと頼まれ、まあ要するに教えながら、何か作って欲しいということなんだけど、それぞれ10人分近い料理を作った。
材料も頼んできた友達が全部私に聞いて、前もって用意していたので、私は道具とレシピのメモしか準備しなくていいのだが、10人分の料理を3品くらい作るというのはそれなりに、時間がかかる。

まあ、作るのはいいのだが、教えるのは大変で、ある南米出身の男性はまったく料理をしたことがないので、鍋に塩をふってるだけで、塩はどれくらい入れるの?って聞くならいいのだけど、それは何を入れてるの?と聞いてくる始末。
そういう感じで、ずっと質問が続く。いちいち教えるなら、自分でやったほうが楽なのよ。。。と言っていた母の言葉を思い出す。

エリートの中にはメイドのいる生活に慣れているせいか、または家事は完全に母親に頼っていたせいか、洗濯や料理がまったくできない人が結構いる。これは見ていて一個人として情けなく感じる。私は、家事はまったくいい加減だけど、洗濯機の使い方や、簡単な料理などは、環境が変わっても、(と言っても、日本、アメリカ、イタリア、イギリスだけだが)どうに自分でできる。最低限自分の身の回りのことはできるようにならないと、それは勉強以前に大事と言っていた、うちの両親は正しかったと今になって思う。
洗濯とか最低限の料理を男女かかわらず教える、日本の学校教育における家庭科の授業は無駄ではないいとつくづく思う。

料理については、私の育った家が特殊なのかもしれないけど、最低限なぜ自分で、できないのかと不思議になる。
私の友達は、料理にかんして、私はうるさいからと一緒に料理はしたくないと言っていたけど、そうかもしれない。学校生活の中で唯一、家庭科の調理実習だけは仕切っていた気がする。

でも、安くて、簡単に、そこそこ美味しいものを自分で作ることができるというふうになることは、人生を楽にする気がする。

美味しくても準備に何時間もかかったり、材料が高かったり、するのは日常食にはなりえない。服と同じで、パーティーのときしか役立たない。
日常食なら、30分くらいで、ありあわせのもので、とりあえず、ほどほどに美味しいものを作れるというのが望ましい。

私にとって、食べることは生きることそのもの。だから妥協できないのだと思う。
何を作り、食べるかは、料理教室で習うレシピではなく、自分のコンディションに合わせてアレンジしたい。


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