2003年03月26日(水) |
侵すこと、侵されること |
イギリスも、もう暖かくなって、先日の日曜は友人と一緒に外でランチをしました。サクラも満開で。。。暗くて長い冬と比べ、こちらは春になると一気に、日照時間ものび、日々は明るい光に包まれはじめました。
太陽の光、緑、鳥たち、咲き誇る花。戦争のことで憂鬱な気持ちになっていてもたってもいられなくて、1人で歩き回っていたら、自然の中に安らぎと包容力を見出したみたい。人間はなんてちっぽけなのかな?と嬉しくなる。でも、なんて破壊的な動物なんだろう?と悲しくなる。
一つの生命として、この世界の一部であることは、それ自体とても祝福されたものであり、同時に、自分がこの世界の一部であることを忘れてしまって、目の前の利益やプライドのために、その世界にダメージを与えてしまうのは愚行としか思えない。
私は戦争に反対する。キレイごとだろうといわれようが、反対する。 私は、戦闘機を見て興奮しない。うんざりする。 他人の生活、そして自分自身の生活を暴力で破壊しえる戦争に関する装備すべてを 心から嫌悪する。恐ろしいものだと受け止める。
戦争が起きると人間の心理は大きく二つに分かれる。 侵されることを想像する人間、侵すことを想像する人間。 私は、イギリスや、アメリカが好戦的なのは、かれらはいつも「侵す側」にたってきたからだと思う。 私の中での戦争のイメージは、祖母が経験した東京大空襲で逃げまわり、追いつめられて、黒焦げになった人々であり、生き延びても放射能汚染による持病に苦しみつづけた広島・長崎の人々の手記であり、中国人に刀を振り下ろした日本人兵士の写真が語るものである。
そこには、国と国との争いの中で、なすすべもなく、命とその生活を脅かされた人々がいる。
私には今、日本にいる人たちが北朝鮮に対してどれくらい脅威を感じているのか、正直わからない。北朝鮮に対する脅威が日本のアメリカ支持の大きな理由なのだろうか、しかし、アメリカを支持することは、北朝鮮の暴走を食い止めることに繋がるのだろうか。 イラク侵攻の当事国であるこの国にいると、イラク関連のニュースばかり入ってくるので、それに対して何かを感じずにはいられない。
私は戦争に反対である。
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