ふうこの英国留学日記-その後

2003年05月18日(日) 翻訳されること翻訳すること


というタイトルの論文を村上春樹も、ウンベルト・エーコ(「薔薇の名前」の作者のイタリア人)も書いている。ウンベルト・エーコは映画化もされた「薔薇の名前」で作家として国際的に有名になったが、アカデミックな世界では記号論学者として知られており、先学期記号論入門の授業があったときに、アルベルトのグループはエーコの記号論についてのプレゼンを授業でやらされたいた。

このタイトルから、ふと考えたのは受動と能動の違いについて。
例えば、愛することと愛されること。
食事の後でフラットメイトとふと話していたら、結婚の話になって、ダニエルは女性はなにより愛してくれる男と結婚すべきだと思うと言った。僕は、僕がいかに彼女を愛せるかが結婚において重視するよ。と。

私はそれに対し、でも、関係性は鏡のようなもので、私がどれだけその男性を愛せるかによって、その男性との関係は変わってくるでしょ?と言った。

いや、男性は追っかけるのが好きだから、自分を愛してくれる女性より、自分が愛せる女性をリスペクトするんだよ。女性の側から愛さなくてはという考えは忘れたほうが幸せになれるよ。。。

でも、ジェーン・オースティンの「偏見と高慢」の中にあったように、「自分に好意をもつ女性ほど、男性にとって魅力的にみえるものはない」というのも一理あると私は思う。

やっぱり、愛は恐ろしい。それが強ければ強いほど喪ったときの痛手は大きい。
なぜ、人の気持ちは移り変わるのだろう。私は、やはり愛が続くことを望むなら
まず、自分が愛し続けるしかないのだと思うけれど、それはとても容易ではない。

信頼関係を築くのには時間がかかり、私たちが人生の中で出会える人間は限られていて、過去は取り戻せない。いっそ、愛についてなんて、考えないほうが健全なのだろう。気がつけば、やっぱりこの人がそばにいた。そんな風が理想かもしれない。

でも、私は・・されるより、・・する能動態の人間でいたい。
自分から進んでやることには責任がともうなうし、自分自身で決断しなければならない。だが、誰かに愛されるのをただ待つのではなく、自分から愛することのできる強さを持ち続けたい。


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