ふうこの英国留学日記-その後

2004年01月24日(土) この森で天使はバスを降りた

という映画がある。

見終わったあとは不満だったが、今でも思い出すぐらいなのでかなりいい映画だったなと思う。本当に良い映画はなにとはなしに心に長く残り、ふとしたときに思い出すものだと思う。

見ていない人はストーリーがわかってしまうので、ここから先は読まないほうがいいかもしれない。

主人公の少女はまだ20代前半か半ばくらい。刑期を終えてアメリカ北部の小さな町へやってくる。看守が頼んだ保安官の口利きで、町の食堂で働きはじめる。彼女の無愛想だが、素直で、優しく純粋な様子に町の人々は徐々に心を開き、彼女に惹かれていく。だが、一方で殺人容疑で刑務所にいたという彼女に犯罪者のレッテルを着せ、疑いの目を向け続ける人物もいる。

彼女はある一人の純粋な青年から求婚される。彼女は驚き、泣いて断る。
「私は子供を生むことができない。あなたにはもっと他にいい人がいるわ。」
彼は、ショックを受けながらも「子供なんていらない。君がいてくれれば」と言う。抱き締めあう二人。

彼女は母の再婚相手である義父に犯され続け、16歳の時に彼の子供を身ごもったが、子供には罪はないと彼から逃げて子供を生もうとした。だが、義父につかまり、子供はいらないという義父にぼこぼこに殴られたときに、お腹の子供を守りたい一心で彼を刺した。そのとき、彼女は流産し、医者にはもう二度と子供持てない体だと言われた。そして彼女は殺人罪で16歳から20代の半ばまでを刑務所で過ごし、やっと刑期を終えてでてきたのだ。

彼女は教会で泣きながらこの事実を友人で食堂で一緒に働いた女性に語る。
私はこの映画の中の彼女の凛とした美しさ、精神の純粋さが顔にじみでているようなたたずまいにとても心を惹かれ、映画の中の人物なのに、彼女はこれから本当に幸せになるべき人だと強く彼女の未来の幸福を願った。
しかし、教会の告白のあと、彼女は彼女を妬み疑う人のせいで、追い詰められ、働いていた食堂の女主人の息子が川に溺れたのを助けるのだが自分が流されてしまい、死んでしまう。

私は彼女の死に愕然とした。今まで辛いことばかりで、やっとこれから幸せになるところだったのに。彼女はあっさりと自分の命を投げ出して、その息子を助けて死んでしまった。なんという人生なんだろう。私は脚本に腹を立てた。これじゃあまりにも彼女がかわいそうだ。どうして、彼女に少しでも幸せなときを経験させてあげなかったのか。。。

私はときどき彼女の人生について考える。
彼女が死んでしまったのは不幸だったが、彼女の性格からして、あそこで息子を救うために冷たい水に飛び込むのは危険だとわかっていながら、それをしないという選択はなかったのだ。私は彼女に生きて幸せになって欲しかったけど、あそこで命をかけて他人を助けた彼女は悔やんではいないだろうとだんだん納得してきた。
彼女が死んで取り返しがつかなくなってから、町の人々は彼女の精神の美しさに気づき、それを疑った自分の醜さ、助けられなかった悔しさを味わう。

彼女が残した影響で町は変わり、活気づく。
でも、もう遅い。彼女はいない。
私は大事な人を失ってからありがたみに気づいたりなんてしたくない。
生きている間にちゃんと感謝や愛情をささげたい。
そう思わせてくれる映画でした。


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ふうこ [MAIL]

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