2003年09月19日(金) |
夕暮れにひとり、亡き人を偲んで |
今日は母親の命日。
18年前の今日、旅行に出かけていた母の突然の死の報せを受け取った。 晴天の霹靂。
それでも前の日から、胸の奥がどうしようもなくざわざわしていた。 いったい何なんだろう… と夜も眠れずにずっと起きていた。
真夜中に電話が鳴った。 悪い報せであるということは、受話器を取らなくてもわかっていた。 あの胸騒ぎも、きっとこれも「虫のしらせ」というんだろうと思った。
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母の死目にはあえなかった…。 親不孝ばかりしていたから かな。
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時折、高い波が押し寄せてくるかのように、 理由のわからない寂しさに襲われる。 こんなとき、無条件で甘えられる母がいたら… 何度も 何度も そう思う。
死に別れるということで、無理矢理 親離れしたわたし。 こころの中には、育ちきっていない部分が残っている。 何歳になっても、その部分は育たない。
我慢ばかりが上手になってゆく。 自分を殺すことばかりが上手になってゆく。
お彼岸の入りに亡くなった母は、天から与えられた寿命を使いきったんだと 火葬場の偉いヒトが教えてくれた。 お盆やお正月に亡くなる人も同じなのだそうだ。
お盆の明けに逝った友人は、33歳だった。 彼女もまた短い寿命を使いきったのだろうか…。
生まれたときには、寿命が決まっているという。 だとしたら、わたしの寿命は、あとどれくらい残っているのだろう…。
8月、9月は祈りの月。 それもお彼岸を残すだけで終わる―――。 夕暮れに、たったひとりで、母の思い出を偲んだ。
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