文
- 道のうえ/その日(�髻法 ‖�子はふらふらと夜の田舎を歩いていた
2003年08月25日(月)
頭がずきずきと痛むので、酔い覚ましも兼ねて夜中の散歩。出掛けに玄関に脱ぎ捨てられた親父のジャケットから煙草を失敬する。居間ではがしゃんだとかどたんだとか大仰な音が響いている。合掌。 六月も半ばに差し掛かったというのに、夜気は随分と冷たかった。幸い着ていたものは長袖だったが、それでも首周りや裾から入り込んだ冷気が肌を突付く。ぶるりと一度身震いをして空を見上げると、ぽっかりご機嫌麗しく、月。奇麗に澄んでいらっしゃること。田舎だからね。て、て、と坂を小走りに駆け下りる。とん。ここから先は平らな道。ジーンズの尻ポケットに突っ込んでおいた煙草を一本、手探りで取り出す。少々ひしゃげてしまっているが、勿論問題なし。右前ポケットに入れっぱなしのライターで火を点ける。け、香り飛んじまってやんの。 すうっと深く吸い込んで、吐く。肺にまで入れても大量の煙。体のことなんざ何も考えちゃいないな、親父。体中の血が一気に引くのを感じた。足を止めて、目を閉じる。久しぶりに吸うには重すぎた。途端に重くなった頭に、鈍い痛み。頭痛してたんだっけ。揺れる視界でぐるりと周りを見渡した。冷たくなった指先に、小さな灯。道の脇の用水路にそのまま投げ捨てる。水は流れていないようだが、まあ火事にはならないだろう。 情けなくもヨタつきながら歩くこと、四分。用水路沿いの細い道から大きな通りに出て、そこから国道へ。夜中に目的も無く出歩くときには大抵決まりのコース。国道へ出たところで右に折れると、家から見て斜め右にぐるりと回って帰ることができる。一周でだいたい三、四十分ほどにはなる。気晴らしの散歩にはもってこい。 が、さて国道に出たというときに、気分が変わった。左に折れれば川に出る。川を見に行こう、と唐突に思った理由は、そのときになって聞こえてきた水の流れる小さな音だろう。家のそばの用水路では枯れきっていた水が、田んぼのある国道辺りではちろちろとささやかに流れていた。あと二、三ヶ月、と呟いた。姉ちゃんがよく言っている。夏になると川べりで蛍が見られるのよ。すごく数は少ないんだけど。その声の調子を思い出して、脚は勝手に左へ折れた。ぶるり、とまた寒気が襟足を撫でていく。川のあたりはだいぶ寒いだろうか。 川には新旧二本の橋が掛かっている。橋桁の高さはざっと七十メートルほどはある。毎年何人かは落ちたりしているらしいという話。古いほうの橋の真中から、遠い水面を覗き込んでみた。当然のようにただ真っ暗闇が広がっているだけ。頭の上ではけろけろと月が笑っている。へ、と鼻で笑い返す。煙草に一本火を点ける。今度はいくらか慎重に、一気には吸い込まないですぐに吐き出す。香り付けのラム酒がかすかに抜けていった。蛍を見に行こう、ったって、川べりまで降りて行かなきゃならないんだろうなあ。両手をジーンズのポケットに突っ込んだままぶらぶらと歩く。橋を渡りきり、ぐるりと回って今度は新しい方の橋の上へ。やはり今度も橋のど真中から下を覗き込むが、何も見えない。川の流れる気配は、しかし確かにあった。底の見えない暗闇の途中から、唐突ににょろりと生えた緑の集まり。水面から吹き上げる風が、ざわざわと伸び盛りの枝葉を鳴らした。毎年、この橋から何人かが落ちてるんだって。 ふん、と鼻を鳴らす。今度はきっちり根元近くまで吸いきったハイライトの吸殻を、つまみあげた指先でぴんと弾いた。つぶれた真白い有害ごみは、しゅるんと闇に吸い込まれた。 そういえば、大学の先輩が言ってたなあ。川から家へ引き返す道の途中でぼんやりと思い出した。夜中にあの川で友達を見かけたって。やたら白くてこっちに向かって手を振ってたって。 街灯もぼちぼち消え始める時間らしい。行きの道よりも確実に光が減っている。周りも見えるものより見えないものの方が断然多い。しゃわしゃわと水の流れる音。視界が利かなくなった分、音が澄んで聞こえてくる。たむ、たむ、歩く自分の足音が、田舎の道路の上をつるつる滑った。時々風が耳のそばを走りぬけた。月はやっぱりご機嫌な様子でのっぺらした顔をさらしている。はん、と鼻を鳴らしてみる。途端にぶるりと寒気が通り抜けた。 国道から大通りへ入ると、心なしか水音が強く耳についた。ここの田んぼの水も、道の脇の用水路も、あの川につながってるんだっけ。大通りを歩きながら、頭の中の町の地図と水路をぐるぐる捏ね回してみる。煙草を一本取り出して火を点ける。ぼんやりと煙った視界の向こうに、用水路に伴う細い道の入り口が浮かんだ。じょうじょうと水の流れる音が聞こえる。ぼんやりとその水を見下ろして、先輩の友達という人のことを思った。煙草、好きかなあ。尻ポケットからパッケージごとハイライトを引き出す。十二本。唐突に腕が動いたのは水音のせいに違いない。ぱっ、と白い花が空中に散る。次の瞬間には跡形も無く用水路の暗闇の中。吸いかけのもむしりとってついでにライターも放り投げてげらげらげらげら笑う。 坂の上から暗闇が降りてくる。こうこうという音がどうどうに変わって、あっと思った瞬間には、水がとぷんと体を呑んだ。
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