蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2002年04月06日(土) マロの誕生日

愛犬マロの誕生日、うちのやんちゃ坊主はめでたく2歳になった。私は朝起きるなり、おはようも言わずに、今日はマロの誕生日だよ!と父と母と妹にふれまわった。さまざまな記念日を覚えているのはうちでは私くらいなので、こうして宣伝しておかないと、大切な日もただ何事もなく過ぎ去ってしまいかねない。案の定、言われてみればそうだったねえ、というのんきな返事がかえってきた。父と母をせかして、妹がバイトに出かける前に、家族みんなで写真を撮った。いざ撮るときになって、私は起き抜けのぼろぼろの格好のままだったことに気がついた。着替える時間はなかったので、そのままの格好で写ってしまった。

当のマロはというと、はじめのうちこそ、みんな何で騒いでいるの?とでも言いたげな顔をしていたけれど、口々にお誕生日おめでとう!と言われると、にっこり笑ってうれしいときのポーズ(耳を後ろにぺたっと寝かす)をした。

ときどき不思議に思うのは、マロは今まで一度も日本語を話したことがないにもかかわらず、会話に困ったことがないということだ。まるで日本語でやりとりをしているかのように、お互いの言っていることが手にとるようにわかる。私は何のためらいもなくマロに話しかけるし、歌を歌ってやるときもある。そんなとき、マロはじっと私の目を見て、耳をそばだてて聞いている。マロはわんわん吠えたりしないかわりに、何か言いたいことがあると、首をかしげたり耳でうったえたりする(ウェルシュ・コーギーはしっぽがない。全ての感情は耳で表される)。もっと主張したいときは、小さく「ぐふっ」とか「ぼこっ」とかいう声を出す。これで、コミュニケーションは十分に成り立つのだ。仕事の愚痴も、恋愛の一進一退も、何でもマロに話す。マロはちゃんと聞いていて感想をくれる。こちらがあまりに落ち込んでいて話す気力もないときなど、向こうからごそごそとそばに寄ってきて、べったりくっついてなぐさめてくれる。私に限らず父も母も、マロが反論しないのをいいことに、ありとあらゆることを話しかけている。話の終わり、「(そうだよ)な?マロ」は、父の口癖だ。

こんな調子だから、マロはおそらく家族の誰よりも、みんなのことをよくわかっているはずだ。もしかしたら、すごい秘密をにぎっているかもしれない。マロが日本語を話せるようになったら、とんだ騒ぎになるだろう。もっとも、マロは秘密をべらべらしゃべるような犬には見えないが。

マロ、2歳の誕生日おめでとう!これからも仲良くしようね!


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