蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2002年04月16日(火) 前を行く誰か

図書館で、知らないうちに誰かの後を追いかけていることがある。と言っても、実際に背後にぴったりとついて歩くわけではなくて、借りる本のことだ。

私がいつも利用する図書館には、返却コーナーのすぐ横に「今日返ってきた本」を並べる書架がある。図書館に行って借りていた本を返したら、私はまずここへざっと目を通す。回転のいい本はここに並ぶことが多い。探していた本も、読もうと思って忘れていた本も、たいていはここで見つかる。誰かの後を追っていることに気がつくのもまた、このときだ。

先週の金曜日、「今日返ってきた本」のところに『須賀敦子のミラノ』『須賀敦子のローマ』『須賀敦子のヴェネツィア』(すべて大竹昭子著 河出書房新社)があった。『・・・ヴェネツィア』は持っているので、『・・・ミラノ』を借りた。『コルシア書店の仲間たち』(須賀敦子著 文春文庫)の足跡をたどったこの本は、ただのミラノ観光ガイドではない。時折はさまれる写真には、ミラノで生活する須賀さんが見えるようだった。『コルシア書店・・・』は3年前に大学教授の薦めで読んだきりだったのだが、勢いづいて再読した。もっと須賀敦子を読もうと思って、今朝、図書館へ行ったら、例の書架には『文藝別冊 追悼特集 須賀敦子』と『ある家族の会話』(ナタリア・ギンズブルグ著/須賀敦子訳 白水社)があった。明らかに、私の前を歩く誰かがいる。そう確信して、この2冊を借りた。

昔のように、本の後ろに貸出カードがついていたころは、誰がその本を借りたのか知ることができた。貸出カードにたびたび見かける名前があると、知らない人でも自分と本の好みが似ているのだと思って、なんだか親しいような気がしたし、本など読まないように見えた友達の名前を貸出カードに見つけた時の、ちょっと裏切られたような驚きも楽しいものだった。しかし、そんなことができたのは高校の図書室までで、公共図書館や大学図書館などは全てコンピュータで管理されていて、図書館員でも何でもない私たちがそれを知る術はない。見えない誰かが借りた本を、続けて私が借りる。一度つかまえた流れに、どこまで乗って行けるだろうか。


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