蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2002年05月21日(火) ビンゴ!

なくなったとばかり思っていた本が、ひょっこり出てきた。うれしい。すごくうれしい。思わぬところで知り合いが見つけてくれた。「もしかして、蜜白玉がさがしてる本って、これ?」・・・ビンゴ!!思わず叫んでしまった。本は、「持ち主不明の本」として、何人かの女の人の手を渡り歩いていたようだ。捨てられていなくてよかった。

本がなくなったとわかったときの落ち込みようは、自分でもちょっとびっくりした。なにもたかが一冊の本、そこまで気にすることもないだろうに。たとえば他人事として、冷静に考えればそうなのだけれど、その本に関係するいろいろの思い出までが失われたような気がして、寂しくなってしまったのだ。あんまり物に執着したり、思い入れが強すぎたりするのもどうかと思う。「読みたいだけで、持ちたいわけではない」という、あおい(江國香織『冷静と情熱のあいだ Rosso』)の言葉を思い出した。私もそれくらい、潔くなってみたいものだ。でも、たぶん無理。

さがし物に関して言えば、自慢するようだけれど、私はさがし物が得意だ。家では私以外、父も母も妹もみんなさがし物が苦手だ。下手と言ってもいい。彼らがさがしたところで、ほとんどの場合は見つからない。いよいよ見つからなくて、腹が立って、きぃーっとなったところで、「ちょっときてー」と呼び出される。ひどいときなど、寝ているのにたたき起こされて、捜索活動に参加させられる。さがし物としては、ありがちな「携帯電話」「家の鍵」「財布」「定期入れ」にはじまって、「延長コード」「ピクニック用のビニールシート」「明け方までかかって書いたレポート」「買ってきたばかりの卵」なんていうのもあった。どうしてなくすのか、こっちが聞きたい。

まあ、でも、さがし物の苦手な人を見ていると、なくしたことに動揺して焦っているから、さがしているつもりでも全然さがせていないのだ。特にうちの場合は何度も引っ越しをしているから、その度に物の場所が変わってしまって、今となっては物の在処を把握しているのは私しかいない。かわいそうで見ていられないので、文句を言いたいのをぐっとこらえて一緒にさがす。

さがすポイントは、「なくした本人の行動パターン」と「なくなった物の特性」の2つだ。その2つを手がかりに、隠れていそうな場所を考えてみればいい。やたらにばたばた動き回ったからといって、見つかるものでもない。

「携帯電話」「家の鍵」なんかは、上着のポケットとか、昨日持って出たバッグの内ポケットとかから簡単に見つかる。父の場合なら、車の座席の下も見てみる。妹の「明け方までかかって書いたレポート」は、山のように積まれた資料の間にはさまっていたし、母が「買ってきたばかりの卵」は、冷蔵庫の野菜室のほうれん草の下から出てきた。突拍子もないところに隠れていることなど、めったにない。たいていは、在って当たり前の場所から出てくる。ほら、このとおり。・・・ビンゴ!!


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