蜜白玉のひとりごと
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父のことをふり返って何か書きたいと思ってはいるものの、少し思い出せばほとんど瞬時に鼻の奥がツーンとして涙が出そうになるので、なかなか何も書けずにいる。
ひどいのはひとりで外を歩いている時で、仕事の帰り、家までの道をひとんちの庭を見るともなく見ながら歩いていると、勝手に涙があふれてくることがある。何となく考え事などしながら歩いているので、知らず知らず父のことを考えていたのかもしれない。周りは住宅と畑で、遅い夕方は人とすれ違うこともほとんどないから、泣きながら歩いているところを誰かに見られることもない。大の大人が泣きながら歩いているのを見たら、ぎょっとするかもしれない。
父のことを考えていると、考えの行きつくところはいつも、ただ、もう、どうあがいても父に会えない、会って言葉を交わすことができないという事実だ。その事実はあまりにも絶対的で、不動で、そのことに打ちのめされる。父の介護に後悔はないけれど、今までにない虚無感にたじろぐ。それと同時に、父と過ごした時間の温かさがじわじわと広がり、ひとりでに涙が出てくる。
ああ、だめだ。こうして書いている間も、やばい。
ひとりで外を歩いているときに、泣くことがある、と言ったら、泣きミソだなあ、と言われた。泣きミソは相方がよく使う言葉で、泣き虫のミソっかす、とでもいうような意味だろうか。いつも言われるばかりで、聞き返したことがない。
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