蜜白玉のひとりごと
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2010年11月10日(水) |
ベランダいっぱいの植木鉢から続く |
祖父は家の2階を取り囲むL字型のベランダいっぱいに植木鉢を並べていた。几帳面な祖父は毎朝の水やりを欠かさなかった。その几帳面さは植物の水やりだけでなく玄関前を掃き清めたり、朝食前に家中の床の雑巾がけを済ませていたことからもうかがえる。
幼い頃、夏休みやお正月休みには祖父母の家に泊まりがけで遊びに行った。転勤ばかりでいつも遠くに住んでいたから、私たちはその都度飛行機に乗ったり、高速道路を端から端まで延々と走ったりして祖父母に会いに行った。たまにしか会わないせいで私は緊張気味で、祖父母との交流を心から楽しむという気分にはなかなかなれなかったけれど、それでも今となって思い返せばおもしろいことがそこここに転がっていた家だったように思う。
2階の特に日当たりのいい四畳半程度の板の間が祖父の部屋だった。書斎と呼べるかどうか、机と椅子、本棚の大きいのと小さいの、それに植物用のスチール棚があって、それでもう部屋はぎゅうぎゅうだ。その部屋で一時期メダカを買っていたこともある。私はメダカがとても気に入って、気をよくした祖父はペットボトルにメダカを少し分けて持たせてくれた。
ベランダいっぱいの植木鉢で祖父が何を育てていたのか、実はあまりよく覚えていない。サツキとかクンシランとか濃い緑の和風のイメージがぼんやりと残っている。盆栽のようなものもあったかもしれない。長年の水やりでベランダの床や支柱は錆びてしまい、およそ20年後にひょんなことで私と相方がその家に住むことになったときには、歩くとみしみし音がするおっかないベランダになっていた。祖父は亡くなっていて、植物もとっくに処分され、もうベランダには何も置いていなかった。
祖父の植物好きは家族からはあまりいい顔をされていなかったはずだ。新しい鉢を買ってくればまた買ってきた、と呆れ顔をされ、いつまでやるんだか、とか、どこまで増やすんだか、とか、祖父に面と向かってではないけれど、祖母や叔母は似たような文句を口にしていた。通りに面したベランダでの水やりは通行人の迷惑にもなっていたかもしれない。そんな大人たちの意見を耳にして私は、おじいちゃんの植物好きは褒められたことではないのだな、と思い込んでいた。どうして植物が好きなのか、植物のどこに惹かれるのか、どうやって育てるのか、もっといろいろ聞いてみればよかった。そうしたら祖父は嬉々として話してくれたかもしれない。植物について自分から祖父に尋ねたことはおそらく一度もなかった。
祖父の影響なのかそうでないのか計りかねるが、父もまた植物が好きだった。父は祖父のことがあまり好きでなかったはずだから、意図的に祖父をまねしたのでないことだけはわかる。父は転勤のたびに母にさんざん文句を言われながらも増え過ぎた大量の植木鉢を持ってまわり、しまいには広い庭と菜園を手に入れるべく定年直前に田舎に引っ越した。そこで水を得た魚のように(!)好きなだけ花や果樹を植え、野菜を育て、自家製堆肥を作り、思う存分、土と戯れていた。それも1年ほどで病が見つかり、次第に何もできなくなってしまったのだけれど、最後にここに行き着いたのは父にとってはかなり幸せなことだったのだと思う。
ここ数年は病気とその介護に必死で、家族の誰も庭まで手が回らなかった。いつか落ち着いたら庭のことをしようとだけ心に決めて、季節がいくつも来ては去った。すっかり雑草だらけの無法地帯となった庭に、今やっと少しずつ手を入れている。庭に手をかけられなかった間、不思議と少しずつ植物への興味がわいてきた。祖父がもっていた植物愛とも、父のそれとも、たぶん違う、純粋な植物への興味だ。この庭を蘇らせたいという気持ちは確かにどこかにある。でももっと直接的に、土や植物に触れてちょこまかと動き回っていると、自分の内側にポッと明かりが灯るような感覚がある。うれしいような、くすぐったいような、あたたかい元気な気持ちになるのだ。このことに気づいてからというもの、遠くから庭が呼んでいるような気がしてならない。図らずも私もまた祖父と父に続く迷惑な植物好きの一員になるのだろうか。
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