蛍桜

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人と書いて嘘と読む

結局のところ、最近の私は
不幸ぶる自分を見たくなくて
「自分は大人になった」「強くなった」と思っていた
それは間違いでもないし、悪かったわけでもないけど

なんだかそんな自分、つまんないなぁって気づいた

気持ちを制御することも、前より容易くなって
人の事情も、飲みこめるようになって
理不尽な世の中も、受け止めれるようになって

いつまでも自分の影を嫌いで居て





本当に、「今不幸?」って聞かれたら「全然不幸じゃない」って
心から答えることができるけど
もしかしたら誰かは私が不幸であることを望んでいたのかもしれない

「今幸せ?」って聞かれたら「分からない」と答えるけど
「幸せ」って言葉はもったいなすぎて使えないだけかもしれない

通勤路を歩いていて、少し不思議になる
今まで知らなかった道
1年前に知った道
1年間通った道

今はもう、当たり前になっている道

記憶は、同じ場面を数十回も残してはくれない
たとえば、365回あの道を歩いていたとしても
私の頭の中に残っている記憶は365回をごちゃまぜにした数回だけだ

その365が増えていくたびに
私の記憶はごちゃまぜになって、曖昧になって、そして当たり前になる
いちいち全部を覚えておく必要のない事柄になる

人は何度も経験したことを、そのうち飛ばしてしまう
同じ道を毎日歩いてれば、気がつけばその道を通り過ぎていたりする
多分、記憶を蓄積しすぎると混乱するからだと思うし
同じ記憶は数十個も必要ないからだとも思うけど

そうやって削られていった記憶たちにもう出会えないことが悲しい

そうやって私の頭の中から消えてしまっている言葉や
人々がいるかもしれない、ということが悲しい

そうやって誰かの頭の中から私が消えてしまっているのかもしれない
ということが悲しい




もしかしたら私は不幸ぶりすぎて
記憶の中の不幸ぶってる私が多すぎたから
今はもう全部、飛ばされているのかもしれない




ああもうなんせ、昔の日記を読んでると恥ずかしいよ
懐かしいとも思うし、あの感情を思い出したりもするし
ああいう感情表現が出来た自分がうらやましいとも思うけど
なんにせよ、すみませんでした

みんなに迷惑もかけたし
傷つけたりもしただろうし

まあ抽象的な言葉ばかり書いてたので
当人じゃない人たちも間接的に傷ついたかもしれないし

だけどなんにせよ、あの綴った言葉たちは本物だろうし
あの時の私も本物なんだろうなって思うし

だけど恥ずかしいのはなくならないし
ほんとあんな私に付き合ってくれてた人たちには感謝だし

「今誰もいない」って言ってる私だけど
そういう不幸ぶってる感じ?もちょっと気持ち悪いし
誰もいないわけじゃなくて、正直にいえば
居てほしい人が居なくなってるな、って思って

そう、私はそういう直接的な言葉が綴りたいのに
どうしても、包み隠そうとして結局は誰にも伝わらないんだと思う

「今誰もいない」にせよ、誰かが居るにせよ
結局私はもっとうまく人間関係を築いていくべきだと思うし
それがまだまだ出来てないから一人ぼっちなんだろうし
(一人ぼっちという表現はここでは正しくないけど)
相変わらず人見知りで、仕事以外の初対面の人とは本当に話せないし
人間的魅力もないし、仕事は一生懸命頑張るけど
認めてもらいたい、って思っても
どこかであきらめてる自分もいるし

なんか世の中結局、人間的魅力がある人が有利で
いくら頑張って仕事しても、いくら仕事が出来ても
人間が出来てるほうが重要で

だからこそ、私は人間的魅力がほしいと思うけど

だからこそ、人間的魅力がない自分を実感してしまって

だからこそ、やっぱり人間的魅力がないから
「みんながいない」っていう結論になるんだと思う

そこでずっと悩んでいても答えは出ないから
やっぱり自分を磨くしかないんだと思う

でもどうやって?
まだ分かってないよ

2009年04月07日(火)

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