空白と現実の20年間。 - 2002年10月03日(木) 今回、拉致事件で生存がほぼ確認された5人のこと。 彼らは、家族との再会は希望したが「子供は日本語が喋れないから」と日本へ帰国して生活することについては、慎重だったという。 ある家族が「一日も早く日本に連れ戻す」と発言していたけれど、家族にとっては空白の20年でも、拉致された本人には、望まなかったものとはいえ、北朝鮮での20年の生活があったのだ。 帰国した中国残留孤児の日本での生活ぶりを追ったドキュメンタリーを観たことがあるが、日本語があまり喋れず、仕事も見つからない彼らの生活は、まさに「最低限の生活」だった記憶がある。 北朝鮮の無道は赦しがたいけれど、現実として、生存している人々にとって、今も日本に帰ることが妥当なのかは、よくわからない。 人々は飽き、家族もすべての生活の面倒は見ることはできず、子供たちは学校で順応できず…といった、哀しい現実が予想されるのだ。 生存者の家族も、一様に歯切れが悪い。 生き延びたことは、喜ぶべきことなのだが、他の人々への配慮もあるんだろう。 そういえば、日航機の墜落事故のときに4人だけ助かった方々がいた。 彼らは、生き残ったことで特別扱いをされて生きることになってしまい、ことあるごとに思い出したようにメディアに取り上げられている。 本人には何の落ち度もないのに、どうしてそっとしておいてあげられないのだろうか? 現実っていうのは、ものすごく残酷だ。 生きていくというのが、どうしようもなく哀しく思える。 でも、それを哀しいと思えるのも、生きているからなのだ。 ...
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