マニアックな憂鬱〜雌伏篇...ふじぽん

 

 

「肉親の情」というのは、情報の集積にすぎない。 - 2002年10月24日(木)

日刊スポーツのサイトより。 

北朝鮮に拉致された横田めぐみさんと、娘とされたキム・ヘギョンさん(15)の親子関係が24日、DNA鑑定で最終的に確認された。

 記者会見で滋さんは「99・999%間違いないと言われました。めぐみが北朝鮮で生活していたことの証しであり、喜びです。あしたにも(キム・ヘギョンさんに)手紙を書きたい」と語り、早紀江さんは「感慨無量です。めぐみの姿は見えませんが、同じ年代の子が北朝鮮ですくすくと育っており、感動を覚えます」と話した。

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 何か不思議な気分だ。確かに、北朝鮮の言うことなんか、信じられない!という気持ちはよくわかるのだけれど、DNA鑑定という科学的根拠を得ると、急に肉親の情というのが湧いてくるらしい。
 時代劇なんかでは、生き別れの兄弟が30年ぶりに再会、なんて話があるけれど、その場合、概して2人はしばし見つめあった後、おもむろに「お兄ちゃん!」「〜子!」といって、抱き合うことになっている。
 30年も会わなかったら、顔についての記憶もあいまいになっているはずだから(しかも、写真なんかない時代だし)冷静に考えると、ちょっとおかしいような気もするのだが。しかし、DNA鑑定なんて存在しない時代では、自分の感覚を信じるしかないわけで。

 「血は水よりも濃い」とか、肉親の情を示す言葉は多いのだけれど、今回の拉致事件は、「24年間拉致されていた人たちが、家族と涙の再会!」という感動の家族愛ドラマにすりかえられているような気がする。
 
 僕はむしろ、肉親の情っていうのは、やっぱり血のつながりだけじゃなくて、後天的な要素が多いんだなあ、ということをものすごく感じています。
 親子だから一目見てわかる、っていうのは、実は情報として過去の記憶を持っているからできることで、感覚的なものではないのだなあ、と。

 まったく面識がないキム・へギョンさんにとって、この日本の祖父母は、果たして心の底から身内として認識できる存在なのかどうか。
 それに、この何日間の日本での大歓待を「日本で生活すると、こんなに歓迎され続ける」というふうに思われたりすると、かえって良くないような気もするのですが。今は、ごく近い身内はともかく、急に思い出した人たちまでもが踊っている最中だから。


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