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幸福なのかもしれないパクリサイトたち。 - 2003年01月07日(火) 最近、ネット上での「パクリ」がテキストサイト界で問題になっている。 僕は他人の文章をパクった経験はないが(だって、それじゃ競馬新聞の印の通りに馬券を買うようなものではないか。面白くもなんともない)、ことの善悪はさておき、どうして他人の文章を「盗む」のかを考察してみたい。 まず第一は、「面白い文章を書きたいのに書けない」ということ。 そして第二に、「何とかして注目を浴びたい、相手にして欲しい」という心理。 今回は、第二の要因について、考えてみたい。これは、当事者にとては無意識の感情なのかもしれないけれど。 インターネット上には、腐るほどサイトがあふれているし、ほとんどアクセスがないサイトが大多数なのだ。 「自分が観ているサイトは、みんな何万、何十万アクセスもあるし、掲示板は書き込みで賑わっている」とお思いの貴方。 それは、そのサイトがあなたの目に触れるくらいメジャーであるということなのです。 「何でもいいから掲示板に書いて!」(実際、サイト開設当初は、あからさまな宣伝書き込みだって嬉しいものだ) 「相互リンク募集中!」(相互リンクを申し込まれるようになるのは、たいてい「相互リンクなんて必要ない」と管理人が理解し始めるころからだ) どうしてネット上にテキスト(日記含む)を書くのかといえば、やっぱり「他人に読んで欲しい」とか「何らかのリアクションが欲しい」からだと思うのだ。 しかしながら、大多数のサイトは、インターネットという情報のダムの底に沈んでしまって、全く省みられることはない。掲示板には、最初の頃はマメに来てくれる知り合いの書き込みか怪しいカジノの宣伝、来るメールはウイルスメールか広告メール、ユニークアクセス数はリドミをみれば雀の涙、という状況。 サイト持ちの方はわかっていただけると思うのだが、サイト管理人にとって、いちばん辛いのは、実は「叩かれること」ではなくて「無視」なのだ。 更新しても更新しても何のリアクションも得られないというのは、ほんとに辛い。 パクリサイトの人々は、当然悪いことだとわかっていてパクったのだと思う。 でも、こういうふうに「Google探検隊」で叩かれるというのは、実は大部分のパクリサイトにとっては本望だったのではないだろうか? 野村前阪神監督は、「再生工場」の選手たちが、みんなその一年で潰れてしまうことについて、次のように著書に書いている。 「野球選手は何年も細々とやって全く活躍できずに辞めてしまうより、1年で燃え尽きても成績を残したいと思うものなんだ。だから、たった1年でも、その選手たちにとっては本望のはず」と。 もちろん、パクリなんかやらなくてもやっていけたサイトも中にはあったのだろう。 でも、その結果が叩きであっても、注目を浴びられたことは、そのサイトたちにとっては、幸せなことだったのかもしれない。 ネットの狭間を漂っている、テキストサイトの残骸たちを目にするたびに、そんな気もするのだ。 パクリという行為は、もちろん悪いことだし、僕が書いたものだって、リンクも出典もなしでパクられたりしたら、やっぱり腹が立つけどさ。 ...
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