マニアックな憂鬱〜雌伏篇...ふじぽん

 

 

「世界に一つだけの花」は、反戦歌じゃないだろう… - 2003年03月12日(水)

 昨夜の「筑紫哲也のNEWS23」にSMAPが出演していたらしいのだが(僕は残念ながら、その番組を生で観ていない)、その中で、筑紫さんは「『世界に一つだけの花』は、反戦歌とも言える」とコメントしていたらしい。
 僕は、そのコメントを聞いて、なんだか考えこんでしまったのだけれど。
 
 「反戦歌」とは何か?
 たとえば、「さとうきび畑」や「奇跡の地球」、洋モノでは「イマジン」なんてのは、代表的な反戦歌だと思うのだが。
 
 「世界で一つだけの花」は、反戦歌じゃないと思う。
 この曲を創った槙原敬之は、栄光と挫折の中で、「どんな生き方でも、自分は所詮自分以外の何者にもなれない、だから、自分を大事にしていこうよ」というコンセプトでこの歌を創ったのではないだろうか?
 もちろん、戦争を推奨しているわけではないだろうし、自分を大事にする、ということは、話をどんどん広げていけば、「戦争で自分を犠牲にしたくない」ということになるいのかもしれないが。
 
 でも、僕はこんなふうに、あまりにもすべてのことを「戦争」に結びつけて、大上段に語ろうとするのは嫌いだ。「ロード・オブ・ザ・リング〜2つの塔」のヘルム峡谷の砦の戦いは、アメリカでは「軍国主義、独裁主義と戦うアメリカの姿」を想起させる、という論調があったらしい。何だそれは?
 そういうのは、「こじつけ」じゃないのか?あるいは、考えすぎ。

 この「世界で…」の良さというのは、そういう無理な理由づけの無意味さを実感して、自分の足元をしっかり見ていこうという姿勢にあるのではないのかなあ。

 だいたい、アメリカは、イラクが世界に除草剤撒き散らすと思い込んでいるからこそ、戦おうとしているわけなので。

 ところで、この「世界で一つだけの花」って、プレステの「俺の屍を越えてゆけ」のテーマ曲の「花」って歌と、ものすごく似てませんか?


...




My追加

 

 

 

 

INDEX
past  will

Mail Home