2つある終わり |
昨日、乾坤一擲の「風鳴る夏」を終えての感想を書いたのですが、大事なことを書き忘れてました。 そう、タイトルの2つある終わりです。 こんな舞台、なかなかないよ。 途中のシーンがアドリブに任されていて毎回違う、とかはあるけど、大事な大事なラストシーンが2パターンあるなんて。 でも、2パターンともちゃんと台本に書かれていたんです。
観れなかった方の為に説明しますと、最後に戦い(殺陣)がありまして、それの勝者が違ったってことです。 初日と2日目の昼は平塚君が演じた兼森(かずもり)が、2日目の夜と千秋楽は堀江さんが演じた雪至(ゆきちか)が勝ちました。 本当は、殺陣の最後の方だけは段取りを決めずに真剣勝負でやるという大胆な演出だったんですが、昨日の日記に書いた怪我があったこともあり、最後まで段取りをつけて、「では、この回は○○が勝つことにしましょう」って感じでやりました。 でも、最初のうちは、疑問もあったんだよね。 それまでの物語があるわけだから、やっぱりこっちのラストの方が作品に合ってる、っていうのが出て来ちゃうんじゃないかって。 でも、他のみんなはどう思ったかわからないけど、僕はどっちもアリだと思いました。 言ってしまえば、仲の良かった二人が戦うことになって、どちらかが残されるっていうのが結論だったんだ、と僕は思います。 運命に翻弄された二人って感じです。 生きるって何?ってことですよ。 おおーっ、ヒートアップして来たーっ! 太字が多くなって来たぜっ!
でも、もちろん好みは分かれますよね。 単純に言えば、真面目な人は、勝者―雪至。 意外性を求める人は、勝者―兼森、って感じですかね? 僕は、初めて台本を読んだ時は、「やっぱり雪至バージョンだろう」と思いました。 筋は通ってますよね、死ぬはずだった人が死ぬわけですから。 雪至の命が脅かされ始めたことによって、兼森も戦おうと決めたわけですしね。 「雪至に斬られるなら、本望だ」と思ったのかもしれない。 ただ、だからと言って、手を抜いて負けるのは、雪至に対して失礼なわけです。 雪至が本気を出せば、自分に勝つ可能性があることを兼森は知っているわけですし。 それで、雪至が本気を出せないままに死んでしまう「勝者―兼森バージョン」もアリだなあ、と思いました。 物凄く悲しいけど。 でも、さっき書いた「生きるって何?」ってことを強く問いかけて来るのは、こっちの方だなあと思いました。
僕の好きな映画(いっぱいあるんですが)の1つに、たけし軍団のダンカンさんが監督した『生きない』っていう映画があるんです。 (※この先にストーリーを書きますので、これから見るので知りたくないという方は読まないで下さい。) ある会社のバス旅行の話なんですが、確か会社が倒産したかなんかで、そのバスに乗っている人はみんな自殺志願者なんです。 でも、何かのミスで、バスガイドの女の子だけ普通の(つまり、生きたい)人が来てしまって、みんな「どうしたもんか」となるんですが、その女の子との関わりの中で、再びみんなが生きることに希望を見出す。 しかし、その矢先にバスが転落し、みんな死んでしまうという話です。 きっとこの話を「奇を衒っている」とか「いたずらに人を殺すもんじゃない」と批判した人もいると思う。 でも、『生きない』のメッセージは「生きろ」なんです、きっと。 生きたいと思っても生きれない人がいるんだ、だから精一杯生きろ、と。 話が脱線したかのように思えますが、勝者―兼森バージョンには、これと同じメッセージがあると僕は思ったんです。 だから、最終的に僕は、勝者―兼森派になりました。
みなさんは、どっち派ですか? よかったら、僕のホームページの掲示板にご意見をお寄せ下さい。 待ってまーすっ♪
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2004年09月08日(水)
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