いまいち自信のないまま、病院に電話、入院の準備を持って父・母・妹と四人で病院にむかうことに。 車の中でも陣痛らしきものはくるけど、やっぱりこれがほんとに噂の陣痛なの!?ってかんじで、自信がない。だって、テレビで見る陣痛の妊婦さんって本当に苦しそうだけど、まだまだこの時は笑って話していられるほど楽だったんだもん。 けど、確かに7〜8分間隔でやってくるし、腰にずうぅ〜んとくるし、陣痛なのかな、でも、もし違って、病院から追い返されたらどうしようと、ずっと考えていたのよ。
さて、深夜の病院につき、夜間入り口のインターホンを鳴らして鍵を開けてもらい、中に入ると、看護婦さんに「部屋が空いてないから、悪いけど、分娩室に入ってもらってもいい?」と言われ、なんのことやらよく分からず、はいと答えて、家族を残して分娩室へ入り、着がえをすませると、色々質問され(家族構成とか血液型とか旦那さんの立会いはどうするかとか、そういうの)とにかく、間に合えば旦那様の立会いを希望し(しかし、旦那様本人には伝えていない)次に私の身に起きたのは浣腸・・・ ああ、とうとうこの時がきたのね・・・ 恥も外聞も投げ捨て、私は母になるのよ・・・ しかし、浣腸されて気がづいた。夕方下痢でトイレに3回も駆け込んだのよ。 だから腸の中は空っぽのはず・・・ 看護婦さんに5分我慢するよう言われ、努力はしたもののそんなことは到底無理。 それでも3分以上は我慢して、ほっとすると、足をなにやら水がつたう・・・ うげっ!!おもらししてしまった!? けれど液体は黄色くなくて、ピンク色。透明の液体に血液が混じっているらしい。 尿意もなかったし・・・これって破水ってやつかなあ・・・ 陣痛と同じく、いまいち自信のないまま、取り合えず床を拭いて証拠隠滅。 分娩室に戻り、看護婦さんに報告。 「破水?」と聞かれ「わかりません」としか答えられない。 とにかく子宮口の開き具合を見ることに。看護婦さんが指を入れるとどばっと水が出てきた。 「やっぱり破水してるねえ」 この言葉に、正直ほっとした。だってこれで陣痛らしきものは本当に陣痛だったわけだし、病院から追い返されずにすむわ。 浣腸も無駄ではなかったってことね(腸は空っぽだったけど)
破水はしたものの、初産婦と言うことで、お産まではまだまだ時間がありそうなので、家族はいったん家に返され、1人、薄暗い分娩室で陣痛と戦うことになってしまった。 「破水すると陣痛が一気に辛くなるよ」 という看護婦さんの言葉にも、へえ、そうなんだ、とまだまだ余裕を見せていたが、この言葉、本当だった! 腰にずうぅ〜んとくる痛みがものすごい! けど1人だし、痛いとかふうふう言うのも恥ずかしく、とにかく無言で耐えていた。 数時間がたって、だんだん痛みに耐え切れず、何でもいいから腰を擦ってくれる手がほしくなってきた頃、分娩室の入り口から看護婦さんと聞き覚えのある声がやってきた。 も、もしかして・・・ 期待に胸膨らんだと同時に、次の陣痛がやってくる。 「おーのさん、旦那さんがいらっしゃいましたよ」 との看護婦さんの声に荒い息遣いで応え、旦那様の顔さえ見れない状態。 波が過ぎ去り(波さえいけば、ほんっとになんでもないのだ)旦那様に「仕事は?」と聞くと「他の先生に頼んできた」と一言。 そう、病院に入るとの電話に驚いて、深夜にもかかわらず学年主任の先生に電話をし、車をかっ飛ばして鈴鹿まで来てくれたのだ。 ああ、神様!腰を擦る手をありがとう!! 旦那様は給食当番みたいな白いエプロンをつけ、心配そうに私を見てはいるけど、腰を擦ってくれない。 なんなのよぉ〜と心の中で思いつつ「腰、こしぃ〜〜」としか言えない私。 実は、立ち会う予定のなかった旦那様は何の予備知識もなかったので、陣痛中に腰を擦ったり一緒に呼吸法をしたりすることを知らなかったのだ。 大体、ついた頃にはもう生まれていると思っていたらしく、陣痛があんなに長いものだと知らなかったと後で言っていた。 何とか腰は擦ってくれるけど、私の息と合わない!これはとっても辛い!! 時間が経つにつれ殺気立ってきた私は、旦那様の手を握り締め、腰の擦り方を伝授。とにかく必死だった。 旦那様がようやく上達したのは、日も昇り明るくなった頃だった。
つら〜〜い陣痛だけど、1〜2分間隔でくる波と波の合間、私は寝ていた。旦那様も寝ていた。旦那様によると、私はよだれをたらして爆睡していたらしい。 だって眠かったんだもん。 寝ていると、どこかからやってくるずうぅ〜んという腰の痛みに起こされ「きたきたきたぁ〜」と旦那様の手を腰にあて、どうにかやりすごし、また寝る。旦那様が来てからは、痛い時は遠慮なく「いたいぃぃぃ〜〜〜」とか「ふんがぁぁ〜〜」とか色々叫んでいた。だってほんとに痛いんだもん。後で考えると恥ずかしい・・・看護婦さんの詰め所や新生児室や授乳室まで聞こえているんだよな・・・体も右をむいたり左を向いたりしていたので、お腹につけていた機械を何回もとってしまっていた。点滴の針もうっとおしくなっていたので、そのうち自分で引っこ抜いてやろうと内心思っていたのだ。 朝になって看護婦さんに「朝食どうする?」なんて聞かれたけど、その頃すでに子宮口は全開していたし、食べられる状態じゃなかったので断った。(旦那様はものすご〜くお腹がすいていたけど、食べると私に悪いので我慢したらしい)
さて、いよいよ分娩台にあがるときがやってきた。 隣の分娩台に行くのかと思っていたら寝ていたベットの足がはずされ、いつの間にか分娩台に早変わり。いきむ時に握る取っ手まで出てきて、ちょっとびっくり。 なんだかガンダムの操縦席みたい・・・と思ってしまった。 「アムロ、いきます!」ってかんじ。 「おーの、いきみます!」って・・・
いきんでいいよ、というお医者さんの声はうれしかった。ここまできたらゴールは見えたし、ずっといきみたいのを我慢していたから(いきみたいのを我慢するのが一番辛かった)とにかくうれしかった。 3回くらいいきんだけど、なかなか出てこなかったので、お股をちょっきんはさみで切られたらしい。じょきっていうはさみの音は聞こえたけど、麻酔のおかげで痛みはなかった(麻酔の針は痛かった) 見ていた旦那様は「あんなとこ、針刺すだけでも痛そうなのに、じょきってはさみで切るなんて・・・」と思ったそうだ。 いきんでいる時にお医者さんに、子どもの頭が見えたよ、と言われても私には見えない。けど、旦那様はちゃんと見ているんだよね・・・ 「あ、あたまに毛が生えてる!」 「ホント!?はげてないんだ・・・よかったね!」 これは私たち夫婦の会話です。お医者様は笑ってみえました。 陣痛の波がくるといきむんだけど、その合間、やっぱり私は眠くて、寝そうになっていた。でも、ここで寝たら一生の恥!と眠気と戦っていた!
出てきた感覚って言うのはよくわかんない。 気がついたら股の下から「ほげっほげっ」って声が聞こえてて、ああ、赤ちゃんの声だなあって思った。 でも、まだこの時は頭だけ出てただけで、肩から下は入ったままだったんだな。 旦那様は顔だけ見えた状態でも、赤ちゃんが苦しそうに眉をひそめてたのが印象的だったらしい。 しばらく待ったけど、自然に出てきそうにはないので、もう一度いきむと全身出てきた(らしい。私には見えてないんだもん)
午前9時54分誕生。 体重3286g、身長53.5cm。
産まれたときは、そりゃ、うれしかったよ。涙ぽろぽろ。 周りの看護婦さんにわけもわからず「ありがとう」って言ったりして・・・ まだ、血みどろの我が子を抱いて思ったのは「小さい」と「あったかい」だった。 なーんだ、生きてんだ。この子ちゃんと生きてんだなあ、あったかいなあって思った。 産湯につかってきれいになってやってきた赤ちゃんは、すっごくかわいかった。 私はまだ、切ったところを縫われていたので(切られた時よりこっちのほうが痛かった)旦那様が抱いていた。 旦那様はわけもわからず立会いをしたけど、すごく感激して、我が子の誕生を喜んでいた。
処置後、しばらく動けず、分娩台はいつの間にかベッドになっていて、体中につけられていた管が取られ(あんなに色々ついていたなんて知らなくて、びっくりした)看護婦さんがバニラアイスを持って来てくれた。旦那様に食べさせてもらったアイスが、なんとも言えずおいしかった。 ほっとしていたけど、興奮して、結局その日は午後3時頃まで眠れなかった。
というわけで、長男 晃太朗が産まれたのです。
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