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艦長日誌 西暦2007年5月3日 ![]() 坂を登りきると峠にさしかかりベンチや案内板がある。1940年代までは茶屋がありお地蔵様が祀られていた。今は地蔵の基部だけが残っている。ここでクッキーとコーヒーで一服。 ![]() 峠を過ぎると急な下り坂。ここは街道の難所降路坂。たしかにかなりの勾配で、ここを銀を乗せた馬を引いて行き来したのかと思うと苦労がしのばれる。銀山を巡る尼子氏、毛利氏の戦の舞台ともなった。往時を偲びつつ、石垣や石段の残る坂を下っていく。 ![]() 勾配が緩くなりしばらくすると樹間から西田の集落が見えてくる。西田の集落は銀山道の中継地であり宿場町として栄えた。立派な石垣を持つ古い造りの家が多い。道路から結構高い位置にある民家の縁側から、お年寄りが手を振って歓迎してくれた。こちらも軽く会釈して手を振る。 集落内にある瑞泉寺に立ち寄る。二重屋根の山門を持ちなかなか立派。 ![]() 集落の棚田の背後の斜面に神社が建っているのが見える。水上神社。 「ヨズクハデ」と呼ばれるこの地区特有の稲藁を干す方法を伝えたと云われる上津綿津美命と上筒男命を祀る。山の中で海の神様が祭られているのは興味深い。ヨズクハデは魚網の干し方を取り入れたものだそうで、効率的かつ風にも倒れない優れた方法なのだとか。ちなみにヨズクとはフクロウのことで、稲が掛かった姿がヨズク(フクロウ)に似ているので、ヨズクハデと呼ばれるようになった。この地区の秋の風物詩だ。神社の境内で草刈をしていた方と少しお話した。また秋に来てぜひヨズクハデを見てくださいとのこと。 ![]() 西田の集落を離れ中村の題目塔を過ぎると再び山道へ。往来する馬子たちが転石に線を刻み将棋を指して休んだという将棋岩を過ぎ、一旦舗装路に出ると清水の集落。ここに金柄杓井戸がある。金柄杓井戸はその昔、ここの水の美味しさに感動した大森の代官が当時高価だった金柄杓を奉納したことによる。島根の名水百選にも選ばれ、今も大切にされている。 ![]() 再び山道へ。ここから松山の集落までの区間は比較的石畳が多く残っている。福光石(凝灰岩)の石切場や石垣などもあり、銀山街道の中でももっとも往時の雰囲気が残る場所のようだ。 ![]() 清水トンネルの上を通過し車道に出る。ここからは車道歩き。松山の集落では窯元がいくつかある。江戸時代から生産が始まった温泉津焼の産地。やきものの里では復元された大きな登り窯が見られる。 車道をテクテクと歩き温泉津駅まで。約5時間半の街道歩きでした。その後車で沖泊集落まで足を伸ばす。ここが銀山街道の終点で銀が積み出された港。集落内へは行かなかったが、岬の岸壁に続く道を歩いてみた。船をつなぎとめた鼻ぐり岩が多く残っている。歩いてぐるりと櫛島のほうまで。櫛島に櫛島城、対岸には鵜の丸城が築かれ防備を固めていた。往時の港の賑わいは如何ほどだったろうか。 ![]() 3日間、石見銀山遺跡と温泉津温泉を満喫して大満足。まだまだ行っていない場所も沢山あるので、また機会があればぜひ訪れてみたい。 さて大分へむけて車を走らせる。途中で温泉に入ろうと思い立ち寄ったのが有福温泉。知らなかったのだが、結構有名な温泉街のようで、西暦650年頃に起源を持つ歴史ある名湯。狭い谷あいに所狭しと旅館が立ち並ぶ。3つある共同浴場のうち御前湯へ。若干白濁したお湯はぬめりがあり美肌効果抜群だとか。 夜のうちに車を走らせて国道9号から国道191号へ。山口県に入り道の駅ゆとりパークたまがわで車中泊。
ぐん
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