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喪の儀式
昨日は、隣家の奥さんの通夜だった。今日は告別式である。 人を送るかたちはさまざま、そう言うところに出るたびに、いろいろなことを感じる。自然の寿命に近い歳で亡くなった人のものは、オーソドックスなしきたりによるものが多いようだ。 2年前に癌で死んだ私の友人の場合は、宗教によらず、「お別れ会」というかたちで、故人の遺影の前で、一人一人献花するという、シンプルなものだった。モーツァルトのレクイエムを流し、アナウンサーの経歴を持つ彼女の、生前の朗読テープをかけた。残された家族の思いがよく現れていたと思う。 私の場合はどうしてほしいか、考えたことがある。宗教によらず、やはり音楽葬がいい。アルビノーニのアダージオをかけて貰う。何色でもいいが薔薇の花を一輪ずつ供えて貰い、遺影は、私が一番気に入っている34歳の時南米で撮った写真にする。生涯を通じてのことだから、死んだ歳とかけ離れたものでいいと思う。今の私とは、あまりに違って、美しすぎるので(しょってるねえ)、来た人は、会場を間違えたかと思うかもしれぬ。 「こんなことなら、アイラブユーくらい言っておけばよかった」と、並み居る男たちに、後悔の涙を流して貰いたい。 あの世から、そんな風景をにんまりしながら眺めるのもいいではないか。 筆が滑って、つい、不謹慎なことを書いた。 2002年02月18日 10時43分49秒
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