沢の螢

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歩く
2002年02月23日(土)

久しぶりに見たテレビに感動した。
兵庫県のある公立病院で、車いすを使わない介護に取り組み、その結果、いままで歩けなかった年寄りが、少しずつ歩けるようになったという話である。
脳梗塞などで倒れ、手足に麻痺が残ると、車いすになり、本人も周囲も、歩けないとあきらめてしまうのが、これまでの常識だった。
でも、ある女性医師が、車いすというものが、歩く能力を奪っていることを指摘し、生活動作の中でリハビリを行うことを提唱し、病院あげて取り組んでいく現場の三ヶ月を追っていた。
歩くことに、具体的な目標を、それぞれの人の生活の中から見いだし、それに合わせた訓練をする。ある女性は、三ヶ月あとに控えた孫娘の結婚式に出たいという。またある男性は、入院するまで花壇を作っていた。そこで、療法士は、病室の廊下に四角いコンテナと、鉢植えの花をしつらえ、その場所まで10メートルの距離を歩くべく、リハビリを持ちかける。
動かない足に特別の靴をセットし、残った体の力を使って、毎日訓練した結果、歩けるようになったのである。その姿は感動的だった。
歩くということがいかに大切か、私も経験がある。15年ほど前、大病して3ヶ月入院した。状態の悪かった一月は、検査や診療を受けに行くのに車いすだった。だんだん回復して、終わりの半月ほどは、なるべく病院内を歩くようにしたが、それでも、体力がびっくりするほど落ちているのが自分でも解った。階段を下りるのに、手すりにつかまらなければならず、立ったりしゃがんだりの動作が出来なくなっていた。筋肉は、使わなければ、年に関係なくだめになるのだと、痛感した。
退院してしばらくは、常用していた自転車が、怖くて乗れなかった。元の体力に戻るのに、一月かかった。
先日、母の元を訪れたとき、父があまり歩かないので、足が弱くなったと言っていた。寒いときに風邪でも引くといけないからと、外に出なかったらしい。介護付きマンションの筈だが、散歩をさせてくれる手がないと見える。
暖かい日に、時々行って、父の散歩に付き合ってあげたいと思う。

2002年02月23日 23時59分01秒




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