人付き合いの下手な私だが、いくつかの会や、グループに身を置いている。 自分が好きで入っているのだから、だいたい楽しいことの方が多いが、時に愉快でないこともあるのは、どこの世界でも同じであろう。 私が一番傷つくのは、その中で、分け隔てされたとき。 他の人が知っていて、自分だけ知らされていないことが、後から解ったり、何らかの理由で、ほかの人たちが参加することに、誘われなかったりすると、ひどく悲しい思いをする。たとえそれが、思いやりや、配慮の故であったとしても、なぜ、言ってくれないんだろうと、思ってしまう。隠したってどうせわかるのに。 仲間はづれにするなら、完全犯罪でやってほしい。 疑心暗鬼になるまいと思いながら、偶然知った事実に、時に苦しい思いをしてしまう。しばらくそこに、足を向けたくなくなる。 いい年をした私でさえ、傷つくのだから、子供が学校などで、阻害されたときは、どんなにつらいだろう。 引きこもりや、不登校を、本人のせいにするのは間違いだと思う。そこへ行くまでの、心の軌跡があるのだ。 でもこんな時、私はなぜか連句や短歌が、湧き出てくる。楽しくてしょうがないときは、ちっとも出来ないから不思議である。 ブルーな心を逆手にとって、10日締め切りの短歌10首を、作るとしよう。 2002年03月05日 02時10分10秒 鶯来たりて 昼前パソコンをいじっていたら、二階の家人から内線がかかって、「鶯がいるよ」という。 すぐに見ればよかったのに、ちょうどホームページのデザインを変えたりしていたので、5,6分して庭を見たときは遅く、かの春告げ鳥は、去ってしまったらしかった。それに、コトとも鳴かなかったものだから、実感がなかった。 家人の話によると、鶯ははじめ、馬酔木の木にいて、梅に移り、それから椿の木に止まり、花の蜜を吸ったあと、どこかへ行ったらしい。 鶯は、何年か前までは、毎年来ていた。紅梅の木に止まって、たまにいい声を聞かせてくれた。いつ頃からか、うちにはあまり来なくなった。 うちから大通りに出る途中に、大きな屋敷があり、そこの庭にはよく来るらしく、季節になると、始終鳴き声がした。春と限らず、とんでもない時期に鳴いていたこともある。 それが今日、我が家に姿を見せたというのである。 惜しいことをした。パソコンなんか放り出して、鶯を見るべきだった。 昨日までしばらく続いた暖かさだったが、今日は真冬の寒さ。昨日クリーニング屋さんが来たので、厚いコートを出したところ。 まだまだ、本当の春には、間があるのだろう。 歳時記の上では、明日から仲春にはいる。 私のホームページのアクセス数が600を超えた。一日平均10件と言うところ。自分でも、5,6回は見るが、続けてのアクセスはカウントされないので、誰かが5人以上はクリックしていることになる。 でも、アクセスの数はどうでもいいこと。昔なら、机の引き出しにしまったままでいるしかないような私のページ、こういう場があって、ほんの少し社会とつながっている。 すでに出会ったかもしれないあなた、まだ見ぬあなた、これから出会うかもしれないあなたに向かって、こうして書いている。 2002年03月05日 19時20分23秒
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