沢の螢

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待つ
2002年04月20日(土)

昨日、中央線のある駅でのことである。
エスカレーターを上ると、電車がホームに停まっていたので、急いで乗った。
若い頃のように、階段を駆け上ったりしない。エスカレーターがあれば、それに乗って、片側を空け、急ぐ人をやり過ごし、走れば間に合うようなときでも、一台見送るのだが、その時は、まだベルも鳴っていなかったので、間に合うと思ったのだ。
乗ってホッとして、すぐに発車するだろうと思ったら、電車はじっとしている。
急行を待ち合わせる場所ではない。
どうしたのかと思っていたら、ホームにアナウンスが流れてきた。急病人が出たために、担架を待っている、少しお待ちくださいという内容であった。
やがて、あわただしく担架がホームを走って、どこかの車両から、病人を降ろしたようだった。
その間も何度か、電車が遅れる理由をアナウンスが告げ、そのうちに騒ぎは収まって、電車は発車した。遅れた時間は、10分もなかったと思う。
走る電車の中にも、アナウンスが流れ、アクシデントでやむ終えず発車が遅れたこと、そして「大変ご迷惑をおかけいたしました・・・」と、繰り返し、詫びているのである。
このことに私は違和感をもった。
急病と言うからには、心筋梗塞とか、脳卒中とか、予期せぬ事態で、文字通り、急を要したのであろう。
担架で運ばれた人は、無事、病院に行ったのだろうか。命は助かったのだろうか。それも気になるが、そのようなときに、自分の頭上で流れたアナウンスを、その人は、どんな気持ちで聞いたのだろう。
電車が発車できない事情、遅れるわけ、それを簡単に乗客に知らせるのは、必要だったとしても、「お急ぎのところ、ご迷惑をおかけします」と言うことまで、繰り返しアナウンスする必要があるだろうか。
担架を待つために、数分遅れたからって、何度も謝らなければならないことなのか。急ぐ人は、別の電車を使えばいい話を、なぜ、あんなに繰り返して、詫びなければいけないのだろう。
秒刻みのダイヤルで動いている電車、その正確さは世界に誇るほどだ。でも、急病人や、何かのアクシデントがあった場合、そのための遅れを過剰なくらい、言い訳したり、謝ったりしなければならない社会というのは、ひどく人間的でない気がする。
知らない人であっても、病人を気遣い、適切な対応を受けて良かったと、言える社会でありたい。

2002年04月20日 00時39分26秒



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