沢の螢

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帰るところ
2002年05月05日(日)

この6日間ほど、私の両親が家に来ていた。
5年前にうちに引っ越してきて、3年暮らしたが、いろいろな事情で別のところに移り、さらに昨年夏からいまのケア付きマンションに移り、24時間介護体制の中で過ごしている。
母はまだしっかりしているが、父の方は、体は元気だが、4次元の世界に住んでいて、ケアが必要である。
一度家に来たいと母が言うので、この連休に来てもらった。
2年ぶりに来て、母は感慨深いものがあったらしかった。両親の居た部屋は、ほとんど手を付けずに残してあるし、置いていったものも、そのままにしてある。また戻ってくることがあると、予想していたわけではないが、急いで片づける必要もなかったのである。
母は家にくると、気になっていたらしいものを片づけたり捨てたりして、過ごした。「アラ、ここにあったわ」というので、何かと思ったら啄木の歌集だった。父は、短歌を趣味としていたが、母はあまり関心がないように思っていたので、意外だった。
父は、もはや短歌を読んだり作ったりすることは、出来なくなっている。5年前は、まだ歌会に出たりしていて、結社誌も講読していた。
その父が持っていたおびただしい書物は、全部とは行かなかったが、うちに運び込んだままになっている。短歌関係の雑誌や歌集、もう開くことはないと思いながら捨てられずにいる。
「本の重みで、家が沈むよ」と、連れ合いに言われながら、私は必死に、それらを守ってきたのだった。
この6日間、父は前から居たように自然に家にとけこんで、静かに過ごした。ここが、かつて3年間住んだところであることを、覚えては居ないようだったが、意識のどこかで、蘇っていたようにも思えた。
今日、帰る時間になって、車で送っていった。
向こうに着くと、ケアハウスのみんなが迎えてくれた。「ここは来たことがあるなあ」と父が言った。
私たちは、母の入れたお茶を飲んで帰ってきた。車を運転しながら連れ合いが「結局、どういう形が一番いいんだろうね」と言った。
うちにいた3年間、私の連れ合いも、いろいろな思いをしたのである。これという答えのないまま、私たちは、それぞれ、親の老いと、自分たちとの関わりを反芻したのだった。

2002年05月06日 02時45分21秒



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