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2年前、物忘れがひどくなったように思い、脳神経科に行った。 図書館で本をみているときに、ふらっとしたり、駅の長いエスカレーターを上る途中に、突然、自分の体が斜めに立っているような気がしたり、人との約束を忘れる、といったことが、重なったためである。 脳波は異常ないので、MRIで調べることになったが、その前に、知能テストをすることになった。それで、問題があれば、機質的な検査をしましょうということである。 知能テストは、小学生の時以来、しかも精神科の分野、ちょっと抵抗があったが、思い立ったら吉日と、受けることにした。 主として記憶に関するさまざまなテストをして、後で結果を訊きに行ったら、数字と図形がちょっと弱いが、特に物忘れ的な問題はないので、MRIもいらないでしょうと言われた。 そして、もし、心配なら、予防的な意味で、ビタミンEと、銀杏の葉エキスを、日常的に服用したらどうですか、アメリカでは、アルツハイマーの治療薬として使っているから、という話であった。 早速買いに行き、せっせと飲んでいたが、そのうち面倒になって、今は、思い出したときに、飲む程度である。 そのころ、老親の介護で、いつも忙しく、疲労困憊していたので、一過性の物忘れだと言うことになったのだった。 数字が弱いというのは、うなづける。算数、数学は、学校に通っていた頃、一度も良い点を取ったことはなかった。電話番号などは覚えられないし、数字に関することは、すぐ忘れる。 図形についても、私はよく道を間違えるので、なるほどと思う。 「君は形状オンチだね」と、連れ合いも言う。 人の顔、ことに男の人の顔は、覚えにくい。背広にネクタイをしていると、皆同じ顔に見える。 一番困ったのは、連れ合いの仕事関係の人、何度紹介されても、印象に残らない。 外国にいたとき、日本人の集まりで挨拶しただけの人は、まず、次に会ったときに忘れていた。 これが、外国人だと一度で覚えるのはどういう訳だろう。 女性の場合は、日本人、外国人を問わず、何か一言でも話をすれば、覚える。 日本人で背広を着たときの男の人というのは、没個性的で、人間的な話題を交わすことがなかったからかもしれない。 現在、私は、そうした義理のつきあいで人と会うことはなくなって、だいたいが趣味を通しての人間関係なので、以前のようなことはなくなった。 しかし、道は相変わらず覚えられない。 今日は、連句の集まりがあって、出かけたが、いつもの場所と違うところだった。 前に一度行ったから分かるだろうと、高をくくって、住所も電話番号もメモしていかなかった。 ところが、駅を降りてからの道が、私の記憶と違って、反対方向だったらしく、途中で公衆電話で番号を調べたりして、たどり着いたものの、すっかり疲れてしまい、まだメンバーがそろってなかったこともあり、そのまま家に帰ってきた。 頼まれたものを人に渡す用事もあったので出かけたのだが、それがなかったら、もっと早く引き返したと思う。 道が分からないと言うのは、一番いらいらすることである。 地図をみても私は東西南北がよく分からない。それに、日本の道は、実に不親切にできている。 何でも外国に比較するのはいけないが、例えば私の暮らしたブラジルでは、どんな小さな道にも名前があり、1メートルごとに番号が付いていた。 文盲の人も多いので、どんな人でも分かるようになっていた。 私の父は、80代後半に入ってから、行き先が分からなくなったり、自宅に帰れなくなったりし始めた。外に出ることが好きで、毎日の散歩を欠かさなかったが、一人で出られなくなったことを自覚してから、寡黙になり、ぐっと老いた。 私は、父親似である。たぶん、同じ道を辿るのであろう。 2002年06月22日 17時31分12秒
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