![]() |
![]() |
昨日は、木曜講座の1学期が終わるので、大河内先生を囲んで、夕食会。15人ほどが、井の頭線沿線の小料理屋に集まった。 私は、教室で、いつも最前列に座っているので、後ろの人の顔を知らないのである。 先生と、2,3のほかは、初対面に近かったが、ほかの人たちは、私のことはよく見ていて、「遅刻しても、一番前に行く方ね」なんて、言われてしまった。 先生はじめ、下戸ばかりで、すぐに幕の内弁当が出てきて、お酒を飲み損なってしまったが、先生の話は、面白く、時間を経つのを忘れた。 その店は、先生の姪がやっていて、わがままがきくからと、先生が予約してくれたのだが、十年ばかり前、半年ほど住んだことのある駅のそば、そして、夫が、大学のクラスメートと、時々利用する店だとわかり、偶然とはいえ、世間は狭いと思った。 先生の追っかけグループと自称する四人組のレディたちは、先生が出ているカルチャー講座に、全部出席とのこと。 「あなた達がいるから、同じ話をするわけに行かず、弱ったよ」と、先生はいうが、レディたちに言わせると、同じ材料でも、先生の話は、料理法が、毎回違うから、面白いのだとか。 昨日は、あまりに暑いので、行く前は、ちょっとおっくうだったが、行ってよかったと思った。 私は、人と話をするのが好きだし、ほどほどに礼儀をわきまえた大人たちは、話題も深く、興味深い。 昨日は、子どもの頃の、戦争の話をしたら、一世代上のひとが、よくきいてくれた。 先生が常に言うのは、「文学は、そもそも役に立たないから文学なのであって、大事なのは無用の用だ」ということ。 最近は、文学のわからん連中が、試験の答案みたいな作品を書いてくると、嘆いていた。 おとといは、連句の集まりで深川へ。 こちらは、七年半ほどの付き合いになる。 連句そのものは愉しいが、その集まりは、このごろ、私にとって、あまり愉快な場所ではなくなった。 はじめの頃の、ほどほどに緊張感のある会合が、少したがが外れたように、締まりのないものに、変質しつつあるように見える。 それは、私が慣れてきたから、感じることでもあろう。 中心をなしていた重鎮が、次第に高齢化、病気、亡くなったりの変化が続き、代わって会を牛耳じりはじめた人たちは、企業論理を導入して、今までのやり方を一新しつつあるらしい。 確かに、組織の運営は、その方がうまくいくだろうし、事務的にもきちんとしてきたことはある。 だが、それと共に「古き良きもの」も、盥の水とともに、赤ん坊まで流してしまったように見える。 少し変わった人、黙っていても、人間的魅力を醸し出していた人、目に見えた働きはしなくても、いるだけで暖かい雰囲気を周囲に与えていた人などが、「扶養家族は不要」とばかり、押しやられていくようだ。 文芸の場が、こういう風に変質すれば、本来文芸にとって、もっとも大事な「無用の用」は、文字通り役に立たぬものとして、無視されていくのだろう。 そこには、優しさも、思いやりも、先達を気遣う気持ちもなく、あるのは、力のある人たちへの点数かせぎであり、礼節を欠いた人間関係の乱れであり、堕落である。 最近、心ある連句の先輩たちが、姿を見せなくなったことを、私は気にしている。 参加者数が、毎回増えていることを、誇らしげに語る「力ある人」の言をききながら、きちんとけじめのセレモニーもせずに、だらだら終わってしまった会合を、何か空しいものに思いながら、一人、帰路についたのであった。 いつものように、「力のある人たち」を中心とするメンバーが、どこかで、祝杯を挙げているであろうことを、想像しながら。 この日は、私の誕生日だった。 息子夫婦が、週末に、来るという。 正月以来のこと。二人とも仕事で忙しく、夫の誕生日、母の日、父の日をパスしてしまったことを気にしている。 そこで、せめてお袋の誕生祝いを、ということになったらしい。 嬉しいが、私は、今月はじめから、断続的な腰痛に悩まされている。 少し、家の中でも、きれいにしなければ、と、少し気重でもある。 そんなことを言いつつ、今夜は、内野聖陽「藪の中」を見に行く。 2002年07月19日 11時34分04秒
|
![]() |
![]() |