沢の螢

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「藪の中」
2002年07月20日(土)

昨夜「藪の中」を見る。
世田谷パブリックシアター。
芥川龍之介原作「藪の中」。
鐘下辰男脚色、演出。
主な登場人物、内野聖陽(多穣丸)、高橋恵子(女)、若松武史(女の夫)。
会場は、若い女性が8割方を占めて、満員だった。
一つの事実をめぐって、展開される、それぞれの主張の違い。
芝居は、中央に据えた円形の舞台で、事件の目撃者、役人、主役の3人が、次々と、登場して、劇中劇を交えながら、主にセリフの掛け合いで、進行する。
休憩無しの2時間、舞台を立体的に使っての演出は、なかなか凝っていた。
芥川の小説は、昭和25年に黒澤明により映画化されて「羅生門」というタイトルで、ヴェニス(カンヌ?)映画祭のグランプリを取った。
私は、当時小学生、映画好きの父親が、「まだ早い」と行って、見せてくれなかった。
しかし、グランプリを取った当時の世の中の興奮は、6月に、ワールドカップで日本が決勝トーナメントに進出したことよりも、遙かに凄かった。
戦争に負け、すっかり国際的自信をなくしていた日本が、一本の映画で、世界のトップに立ったのだから。
そして、映画は、当時の日本では、娯楽の王者であり、それまで目に触れることのなかったアメリカやヨーロッパの名作が、次々入ってきた。
子どもの私も「仔鹿物語」、「若草物語」、戦前のリバイバル「会議は踊る」、「未完成交響楽」などを、父親と一緒に見たのである。
日本の映画界も、どんどん作品を公開していた。
その先駆けのように賞を受けた「羅生門」は、公開当時、国内の評判は、あまり芳しくなかったらしい。
「わかりにくい」というのが、多くの世評であり、興行成績も、それ程ではなかったようだ。
しかし、外国で、グランプリを受けたと言うことは、それらを一掃するのに、大きな役割を果たした。
受賞後初めて、この映画を見に行った人が、多かったのではないだろうか。
私が見たのは、大人になってからである。
モノクロ映画の、光と蔭を巧みに使った映像。
三船敏郎の、引き締まった肉体の美しさ、京マチ子の、女のもろさと凄さ、侍役の森雅之の、まなざしの豊かさ、みな、鮮明に残っている。
この映画の成功の一つは、カメラのすばらしさである。
森の中で、茂った葉の間から漏れる光の揺れ。そこに一陣の風が吹いて、笠の陰に隠れた女の顔が、一瞬、あらわになる。
それをとらえた盗賊の目がきらりと光る。
女を我がものにしようと思いつく一瞬。昼寝を醒まされた眼が、獣のまなこに代わる刻を、カメラは見事に写していた。
また、縛られたまま、目の前で盗賊に犯された妻を見る夫の目、森雅之の目の表情も凄いが、やはり、カメラがいい。
木漏れ日と、このまなざし。
映画の重要な場面であり、話の展開の中心でもある。
昨日の芝居が、それをどのように表現するか、大変興味があったが、やはり、舞台では無理と見えて、全部、会話で処理していた。
木漏れ日と、まなざし。
映像でなければ表せないであろう。
映画は、このころから昭和40年代初め頃まで、黄金時代が続くが、テレビの普及とともに、次第に衰退していく。
内外問わず、名作として今に語り継がれているのは、多くは、その時代のものである。
将来映画評論家になりたいと、夢を描いていたのは、この頃であった。
「羅生門」のカメラマン宮川一夫は、黒沢映画はじめ、名だたる作品を残して、故人となった。
黒澤明、三船敏郎、森雅之も、今はいない。
そして、私は、最近、ほとんど映画館に足を運んでいない。
舞台の「藪の中」。
俳優は熱演であり、ナマの迫力は、三階席にも充分伝わってきて、面白かったが、私はしきりに、遙か昔に見た映画「羅生門」を、思い出したのであった。

2002年07月20日 09時21分06秒



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