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いつか見たテレビのバラエティ番組で、こんな場面があった。 ゲストの女優に、「ハンドバッグの中身を見せて下さい」といい、女優は、「あら、イヤだわ」とか何とかいいながら、ハンドバッグを開け、テーブルに中身を一つずつ取り出してみせる。 化粧品の入った小袋、財布、ハンカチや手帳、ペン、マスコットにしている小物、それらを、司会者が、あれこれ、冷やかしながら、吟味するという趣向である。 これは、予め、打ち合わせが出来ていて、バッグの中身といっても、人に見せてもいいもの、あるいは、むしろ見てほしいものだけを用意してあるのだろう。 司会者が手帳を開け、「オヤ、彼氏との約束は、どこに書いてあるんですか」などと、おどけていたが、そんなものは、はじめから、持ってくるわけはないのである。 「ほほう、xxブランドのハンカチがお好きなんですね」とか、「思ったより、現金持ってませんね」などといいながら、スタジオに来ていた見学者の反応を、みなで愉しみ、女優自身も、大げさなリアクションで、サービスしているのだった。 今年になって、ホームページを作ったとき、連れ合いが言ったことがある。 連れ合いは、昨年はじめにホームページを立ち上げ、すでに、50ページを超える量になっていた。経済、政治、社会の動きについての考えなど、、どちらかというと、堅い内容である。 はじめは、やはり、誰かに見てほしいと思い、知っているパソコン愛好者に声を掛けて、掲示板に書き込んでもらったり、反応があると、嬉しかったそうだ。 そのうち、どこかで検索するのだろうか、見知らぬ人の中で、いつも見てくれる人も、少しずつ出てきて、こちらからも、訪問するとか、パソコンを通じての、交流も出来てきた。 ところが、時々、困ったことが起きてきた。 何かについて、書こうとするとき、ときに、自分の職業体験を通じて、具体的な例を挙げた方が分かりやすいと思うことがある。 とこらが、それを読んだ知己の中には、「あれは、あの時の、あの人の、あのことでしょう」的な、事実解明の方に、関心が行ってしまい、自分の言わんとすることを、ちゃんと読んでくれないというのである。 もちろん、例として挙げてあることは、「あの時の、あの人の、あのこと」そのものではなく、第三者個人や事柄を、特定するような書き方はせず、普遍化して表現してあるのだが、事情を知る人が、そのつもりで読めば、現実にあったことを当てはめて解釈することは出来る。 見知らぬ人なら、表現されていることだけを、純粋に読んでくれるのに、なまじ顔見知りの人は、思い込みがあるから、難しい、「だんだん書きにくくなっちゃったよ」と、ぼやいていたことを覚えている。 そして、そういうことに気を遣って書いていると、どこか、蒸留水のような、味のないものになってしまい、せっかく今まで参加してくれた、ネット上の、見知らぬお客さんの足が遠のいてしまったそうだ。 「もうやめちゃおうかな」と言い始めている。 そういう経験があるので、私に「ホームページは、知っている人には、あまり、見せない方がいいよ」と、忠告してくれたのであった。 私のサイトは、連れ合いのホームページより、もっと個人的で、自分のバッグの中身を、そのまま見せているようなものである。 でも、そこにいるのは、現実の私ではない。 ホームページの中には、いろいろな場面が設定され、種々の人物が登場するが、それは「茉莉花の書斎」という、私の劇場の役者たちであり、あくまで私の作り出したものである。 現実の人間と、たまたま似た人が出てきても、「あのときの、あの人」ではない。 しかし、現実の私を知る人なら、そのような詮索は、可能かもしれない。 表現されたものを、虚構の世界のドラマと見て、愉しんでくれるか、たまたま知る下世話な事実に当てはめて考えるかは、読む人の、品性による。 私は、ホームページを、現実に私が属する世界の人たちには、よほど信頼できると、思った人以外には、見せない方針をとってきたが、ものによっては、多くの人に、見てほしいし、参加してもらいたいものもあるので、関係者に公開するうち、少しずつ、見る人が増えてきた。 ほとんどは、礼儀正しく、現実に会った場所でも、ホームページについては言及しないし、節度を心得て参加してくれて、有り難いと思う。 しかし、バッグの中身は、そうした礼儀正しい人にでも、見せずに、一人で取り出して、愉しみたいものもある。 そこで、今まで一元化していたページを、「公開したいもの」と、「しまっておきたいもの」に、分けることにした。 2002年07月30日 10時00分04秒
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