沢の螢

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愛逢月
2002年08月07日(水)

暦の上では立秋。
愛逢月という、美しい名前も持つ。
でも、実感としての夏は、まだまだたけなわ。昨日は、39度と言うところもあったそうな。
新宿の高層ビルのあたりは、昼下がりに、42度に達したと、テレビが伝えていた。

昨日の夕方、庭の水撒きをしていたら、土に穴がぼこぼこ開いている。蝉が生まれたときの穴である。
蝉が生まれるまで7年、じっと地中で、そのときを待っていたのだろう。
地上に出て一夏の短い命。
そして7年後には、また新しい命が生まれ出てくる。
自然の営みの確かさ。
私は、ペットとしての動物はあまり好まないが、自然の中に生きる生き物は好きだ。
テレビの動物番組はよく見る。
まだ人間の手が余り入っていない、アフリカや南米の奥地などに住む生き物は、ちゃんと自然のルールに従って、命を受け継ぎ、子どもを育て、役目が終わると、静かに命を閉じる。
その厳かなほどの、生き物の一生を見ていると、人間は、一番愚かで、自然の倫理に逆らった生き方をしているように思えてならない。

庭に来る野鳥は、今が子育ての時。
親鳥の呼び声につられて、小さな子どもの鳴き声が混じり、うちの庭の木や草、土に潜んでいる虫などを見つけ出して、賑やかな食事を愉しんでいる。
庭には、欠けた土器の皿にいつも水を張っておく。
鳥にとって、猫は天敵なので、近所の猫が入ったときは、見つけ次第追い払う。今までに、何羽も犠牲になっている。
時々猫が、野鳥のための水皿を、ピチャピチャ舐めていることがある。
「おうちに帰りなさい」と言って、お引き取り願う。
近隣は、犬猫派と、犬猫拒否派とに2分されていて、水面下の争いがある。
ペット好きの共通点は、他の人もみな、犬猫が好きで、こんなかわいいものを拒否するのはおかしいと、思っているらしいことで、そうでない人を、天敵のような目で見るのである。
私は、犬猫そのものより、そうした飼い主の思い込みが嫌いなのである。そして、人間の飼っている動物は、不思議なほど、飼い主に似る。
教養のある人の犬は、やはり教養があって、やたらに人に吠えたりしないし、いい目をしている。

子どもの頃、私は、猫と一緒に寝るほどの猫好きだった。
しかし、今の家に住むようになって、猫嫌いになった。隣近所の猫たちとその飼い主の、あまりの不作法に、辟易しているからである。
ひと頃、猫たちのフン害に悩まされて、何とかしてほしいと、言ったことがあった。
「うちの猫のものだったら、片づけに行きますから、言ってください」なんて、言うが、現実に、フンの主まで、こちらが見極められるはずがないではないか。
猫が侵入しないやり方を、いろいろ試したが、どれも、効果はあまりなく、猫を放し飼いにしない法律でも、出来ないかと、思っているところである。

今日も暑そうだ。
連詩の講座を受けに新宿まで。
夜は、そのままサザンシアターの、井上ひさし芝居を見に行く。

2002年08月07日 10時25分18秒





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