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紳士の国なんて言われた英国でも、ジェントルマンという名に値する男は、いまや全体の1パーセントくらいだとか。 ということは、1パーセントのジェントルマンがいれば、紳士の国といわれると言うことだ。 ということは、日本には、ジェントルマンは、ほとんどいないということかも知れぬ。 こんなことを言うと、「日本には、レディの名にふさわしい淑女はいない」などと、男性から反撃をくらいそうである。 本当は、そんな統計的なことはどうでもいいのである。 先日、私は、あるところで、ジェントルマンとは、お世辞にも言えない男と、席を同じくした。 それは、新宿のカルチャーセンターの流れで、お開きの会があり、偶然同じテーブルに座る羽目になった、ある男のことである。 はじめは、そのテーブルを囲んだ5,6人は、お互い名前も素性も知らないので、それなりに、「気取って」話をしていた。 前の日記で「気取り」について書いたが、私は、よく知らない人たちの間では、「気取り」は、大事なことだと思っている。 適度の遠慮、言葉遣いも含めた礼儀は、欠かせないし、いろいろな配慮も必要で、大人であれば、当然のことだ。 その席でも、当初はそうだった。 ところが、だんだん話が弾み、それが趣味の分野での集まりだったこともあって、次第にうち解けてきた。 戦争の話になって、私の斜め向かいにいたその男が、私と、同年代ということがわかった。 そのことで、急に親しみを感じたらしく、男の言葉が、だんだん崩れてきた。 もちろん、私とだけ話していたわけでなく、その席には、男の仲間の女性も2人いて、はじめから親しく話していた。 私には、少し遠慮がちだったのが、同世代とわかって仲間意識が出たらしく、友達感覚になったらしかった。 それはまあ、いい。 いつまでも気取ることはない。 共通点があるなら、それがきっかけで、話が弾むというのは、自然なことである。 ところが、ついでに遠慮もなくなったらしく、私のメールアドレスを訊き、私が、黙っていると、今度は、名前を聞いてきた。 三日間の講座で、同じ教室にいたというだけで、名前や、メールアドレスなど、教えるつもりはないので、それも、無視した。 こちらは、礼儀正しく「さあ、誰でしょう」と冗談めかして、相手がばつの悪い思いをしないように、配慮したつもりだった。 すると男は、何を思ったのか、わたしに向かって「まさか、大物政治家のコレではないでしょうね」といって、小指を一本立てて見せたのである。 この種の言葉が、女性に対して、いかに礼を失しているか、女性なら、誰でも知っている。 男の仲間の女性が、「失礼よ」とたしなめ、私は、怒るよりも呆れてしまい、「あら、色っぽいショーバイに間違えられたのかしら」と、軽く受け流したが、心のなかの不快さは、如何ともしようがなかった。 そんな男が、カルチャーセンターの詩の講座に、通っているというのである。 不作法、デリカシイの無さ、どこぞの有名大学を出たらしいが、それで、どんな詩を書くというのだろう。 ところが、自分では、失礼なことを言ったという感覚は全くないらしく、けろっとして話を続けたばかりか、頼みもしないのに、私に名刺をくれて、メールアドレスなど書き込み、「お待ちしてます」なんて言ったのである。 この鈍感さ! 私は、どこかの国の県会議員ではないから、名刺を折ったりせず、礼儀正しく受け取り、帰りの駅のそばのゴミ箱に、放り込んでやった。 2002年08月12日 23時01分26秒
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