沢の螢

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ソンな性分
2002年08月18日(日)

女と生まれたからには、愛嬌があって、上手に人に甘え、この人のためなら何でもと、思わせてしまう可愛さがあれば、絶対トクである。
そうしたことと、およそ正反対の私は、今までの人生で、ずいぶんソンをしている。
いや、ホントにソンかどうかはわからないのだが、なぜだか知らないうちに、損な役回りにまわってしまうことが多いのは確かである。
子どもが小学生の頃のこと。
父母会があり、出かけていった。
まず教師が、学校側の連絡や、必要なことを言ったあとで、「お母さんたちの方から、学校に対して、何かご意見はありませんか」と言った。
そういうとき、母親たちは、黙っていることが多かった。誰かが、何かを言えば、それについて、コメントをするが、自分の意見を、サラの状態で表すということをしないのである。
今の親たちは、たぶんこんなことはないだろうが、二昔も前の母親たちというのは、おおむねそうだった。
意見がないというより、人前で、意見を表明したくないのである。
それなら、終わりまで何も言わないでいるかと思うと、帰りの下足箱の前などで、言い始めるのである。
こんなことは、百害あって一利ない。
そこで、ある時「皆さん、意見があったら、ここで言いましょう」と、私が口火を切って、教師の訊きたいことを、みんなで、つぎつぎにはき出したと言うことがあった。
教師は、「今日は、お母さんたちの忌憚ない発言が訊けて、とても有意義でした」といい、その日は無事に終わった。
ところが、しばらくして私の耳に入ってきたのは、私が、母親たちを扇動して、教師に迷惑をかけたという言葉だった。
みんなが黙っているから、きっかけを作っただけなのに、それが、なぜ、「扇動」だの、「迷惑」になるのか。
これは一つの例だが、私は、なぜか、いつもこういう羽目になるのである。
みんなが、心の中で思ってはいるが、表に出しにくいということがあって、私も同じ考えだというとき、本当は、誰かが言うのを待っていれば、いいのかも知れない。
しかし、後先考えずに、口に出してしまうのが、私の浅はかなところである。
そしてその結果、口に出した私が、全部罪をかぶることになって、黙っていた人は、何も責められずに済むのである。
だから利口な人は、私のようなおっちょこちょいをうまく使って、自分は傷つかずに、言いたいことを人に言わせ、思ったことを成し遂げるのである。
結果が悪い場合は「私、何も言ってません」という逃げ口上を、ちゃんと用意してある。
そして、ひとり悪者になってしまうのは、いつも私である。
こうしたことで、今まで、どれほど悔しい思いをさせられたかわからないが、神様は、必ずしも不公平ではない。
ほんの一握りではあるが、理解者を付けていて下さる。
時々、自分で、イヤになることがあるが、ソンな性分は、たぶん一生ついて回るのだろう。

2002年08月18日 15時52分42秒



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