沢の螢

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ネット残酷物語
2002年09月16日(月)

参加はしていないが、時々覗いている連句サイトがある。
一昨日の夜頃から、昨日の夜にかけて、その中でちょっとしたバトルがあった。
ある人が、連句用語の意味について、質問した。
本来の意味と違った使われ方をしているのは、いかがなものかという趣旨だった。
それについて、主催者側が、これは習慣として使っているので、問題はないのではないかという意味の答えをした。
しかし、質問した人には、満足のいく答えでなかったらしい。
なおも食い下がり、主催者側が、「この本に出ています」と、ある参考書を引き合いに出して、黄門さまの印籠を持ち出すごとき発言をしたあたりから、だんだんやりとりが穏やかでなくなってきた。
その間の詳しいことは、ここで再現するつもりはない。
私が、感じたのは、ネットで、ひとりの人間が、如何に抹殺されていくかという経緯を、目の当たりに見て、顔も名前も見えないネットという世界の、残酷さであった。
はじめから、何となく目が離せなくなって、一部始終を見ていた私には、サイト側の人たちが、自分たちの城を守ろうとするあまり、大勢で、一人の人を、組み伏せている、ローマの闘技場に見えてきた。
質問者は、たぶん、ネットの会話に、あまり慣れていない人なのだろう。
確かに、ものの言い方がストレートで、歯に衣着せぬきらいがあったが、言わんとしていることは、少しも間違っていなかったと思う。
ただ、自分の言いたいことが正確に受け取ってもらえず、納得のいく答えが得られないので、孤軍奮闘していたにすぎない。
それに引き替え、サイト側のスタッフは、こういうやりとりがエスカレートすると困るので、早く話題を変えたいという意識が働き、いらいらしてきたらしく、また、常連の参加者たちも、それに荷担して、「気に入らないのなら出て行け」式のことばまで浴びせたので、ますます、双方の感情がこじれてきた。
不思議なのは、その議論の中に、まじめに参加する男性らしい人が、ほとんどいいなかったことだった。
「いい加減にして」と言いたいサイト側と、質問の趣旨がずれて来たことに、怒りを隠せない質問者、その中で、そうしたバトルをかわすように、どんどん付け句を出していく参加者たち、あれよあれよと、おろおろしながら、ことの成り行きを見ていた人たち、そんな空気まで伝わってきて、とうとう、最後まで、バトルの行方に、付き合ってしまった。
結局、サイトの責任者が登場し、感情的になっていた、他のスタッフをなだめるごとき言葉もあって、冷静に対処したので、質問者も、一応納得して引き下がった。
バトルというのは、第三者から見ると、双方が頭に血が上っていればいるほど、冷静に見ていられるものである。
顔の見えないネットでは、ほんの些細な言葉の使い方が、相手を傷つけ、人間性まで露わになる。
誰ひとり援軍のない中で、たった一人の孤独な戦いを強いられた質問者、私は、むしろ、こちらに好感を持った。
サイト側は、誰がどう向かってこようが、サイトという実権を持っているのだから、はじめから官軍である。
テレビが時々「視聴者のニーズで」なんてことを、自分を正当化するために使うが、ネットを握っている立場と、そこに参加している立場とは、同等ではない。
いざとなれば、サイトを閉じてしまう権利も、参加者を閉め出す力も持った上でのバトルである。
公序良俗に反することなら仕方がないが、言葉の使い方に関するまじめな主張を、きちんと取り上げて検証するよりも、とりあえず発言を封じ込めてしまおうとする、あのときの雰囲気は、おかしい。
ややこだわりすぎたきらいがあったにしても、質問者の主張は、決して非難されるべきものではなかった。
もちろん、サイト側にも、その発言に耳を傾け、何とか、応えようとしている人もいた。
しかし、総じて、「迷惑な」あるいは、「不愉快な」といった空気が、サイト側を支配していた。
それ以後、質問者は、登場しない。
その人に、何となくシンパシイを感じてしまったのは、私も、いろいろなところで、こういう場面に遭遇することがあるからである。
「正しいからいいというわけじゃないのよ」と、最近もある人に言われた。
私は、いつも、自分だけが正しいと思っているわけではない。
ただ、問題を茶化したり、誤魔化してしまおうとするのが、嫌いなだけである。
蔭で取り交わされる不正義、表面だけ何事もなければ良しとする「偽りの平和」は、私の好むものではない。
でも、それが、人間社会の潤滑油であり、不特定多数の人が、その方がいいというのであれば、私のような人間は、いろいろな形で、閉め出されていくだろう。
今日、そのサイトのボードでは、邪魔者を片づけてせいせいしたと言わんばかりにはしゃぎ、常連たちで乾杯していた。
ネットというのは、ホントに残酷だなあと思った。
昨日の質問者が、その有様を見たら、どんなに傷付くだろうか。
人を抹殺したら、せめてそのあとは、相手を思いやり、しばらく静かにしていたっていいのではないか。
門戸を開いていると言いながら、実は、限られた人たちで愉しみたいだけなのであり、異物が入ることは、本当は、好まないのである。
たくさんの人が見ているらしいから、おそらく、このバトルについて思うこと、感じることは、人さまざまであろう。
バーチャルな世界であっても、そこにいるのは、間違いなく人間であり、姿は見えずとも、それを、比較的冷静な目で見ている人たちがいることを、忘れてはいけない。
人ごととは思えぬ、ネット残酷物語だった。



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