沢の螢

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野分
2002年10月01日(火)

台風が近づいている。
東京を直撃するかどうかは、定かでないが、念のため、テレビをつけて、時々情報を見ながら、パソコンの前にいる。

7月に、私はそれまで属していた、あるサークルを辞めた。
自分の意志と言うより、私の存在をこころよく思わない人の、詐術によって、辞めるべく仕組まれたといった方がいいかも知れない。
サークルの中では、私は、言うべきことは、その場できちんと言うという態度で、通してきた。
しかし、リーダー格の人は、もともと、女性からはっきり物を言われることの嫌いな人である。
サークルは、別に会長がいたが、事実上仕切っているのは、総合的な企画力を持ち、人集めの才に長けたその人だった。
会員は16人ほど、みな彼の識見、能力、詩的才能を認めて、基本的には、彼のやり方に納得している人たちだった。
特に女性は、内心はともかく、彼に従い、決して表面上逆らわず、頼まれれば、協力し、平和にやってきているように見えた。
そんなところへ、どうして私のような、人間が入ったのか、わからない。
彼の誘いで、時々ゲストとして、顔を出しているうち、「入りませんか」と言われ、私は、その会の雰囲気が好きだったので、喜んでメンバーに加えてもらった。
思ったことを、はっきりと言うところが、ちょっと面白いと、思われたのかも知れない。
メールの交換などを通じて、お互いのこともわかるようになり、ずいぶんいろいろなことを、教えてもらった。
博識で、感性豊かな彼から、学んだことは大きい。
しかし、そういう人には、関心を寄せる人も周りに沢山いる。
私が入るより前からいたある女性も、彼には、好意と興味を持っていて、彼の方も、自分よりずっと年下の彼女をかわいがり、会の中でも、彼女の存在は、特別のようだった。
彼女は、会計を受け持ち、会のホームページを作ることで、存在感を発揮した。
会の運営は、彼と彼女、会長と、もうひとりの若い男性との4人で、事実上、行われていた。
誰も異を唱える人もなく、車の4輪は、うまく回っていたのである。
そんなところへ、あまり大人しくない私が、入ったのである。
会の行事や、計画をめぐって、彼のワンマンぶりに、私が異を唱えることが時にあったりして、彼は、だんだん、私を、目の上の瘤と感じるようになったらしい。
また彼女の方も、それまで、一身に関心を集めていた彼が、私と共同作品などを作っていることに、面白くない気持ちがあったようだ。
今年の3月頃に、私のアイデアを、彼女が、シラッと自分のものにすり替えてしまうということがあった。
それは、会とは関係ないことではあったが、私は、そのことで、彼女を信用できない人だと思うようになった。
そのアイデアは、別の圧力で頓挫したが、彼女は、それを、私のせいだと思ったようである。
彼から来たメールで、彼のもとには、彼女からの一方的な情報が伝わっていたことを知った。
その計画は、成功すれば、彼女の手柄話になるが、うまくいかない場合は、私に責任をなすりつけられる可能性があったので、私は、早い段階で、身を引いていたのである。
しかし、情報が、いろいろある場合、人間は、自分に近い人のいうことを、まず信じるものだ。
彼が、まず彼女のいうことを信じ、私のいうことを、二義的に考えたのは、当然だったかも知れない。
それだけ、二人の間の情報交換が、上回っていたということになる。
それを、説明しようとすれば、彼女を非難することになり、それは、自分の人間を下げることになる。
それは、したくなかった。
つまり、私はええカッコしいで通したのである。
彼は、私の言うことが、曖昧で、よく分からないと言いながら、それ以上、訊いてこなかった。
それは、そのことで、一段落したと思っていた。
ただ私は、それ以後、彼女とは、一線を画すことにしたので、顔を合わせても、必要以上の会話はしないという態度を決めていた。
四月頃から、彼女が、会の例会を、ちょくちょく休むようになった。
連れ合いの仕事が変わって、忙しいということだったが、七月になって、私は、気になり、「どうしたんでしょうね」と、彼にメールで訊いてみた。
その返事が、何か、奥歯に物の挟まったようなものだったので、私は、何かあるなと分かった。
しかし、そういうことを明らかにしないのが彼のやり方であり、それは、彼なりの配慮であっただろう。
私もそれ以上、訊かず、表に出ないことは、ないものと思うことにした。
私のような人間は、いない方がいいのかなと思ったりしたが、彼の言う「悪い平和」を守って、行くことにした。
そのすぐ後に、私が、ホームページを、会のページにリンクしてほしいというのを、彼女は断ってきた。
納得のいかない理由だった。
そして、それに関して、二,三回彼とメールをやりとりしているうちに、「原因は、あなたと彼女の間に、以前からあるトラブルです。それを会に持ち込むのは不愉快だ、辞めてほしい」と、言われたのである。
私は、会にトラブルを持ち込んだという自覚はなく、それがどういうことか、はっきり説明してほしかったが、彼から答えのないまま、私の方から、辞めた。
他の会員には、何の関係もないことである。
それから二ヶ月経つ。
彼女からは、何も言ってこないし、もちろん、彼からも音沙汰はない。
私がなぜ急に辞めたのか、知らないメンバーから、電話がかかってきたが、いきさつを話すわけに行かなかった。
ただ、会長に当たる人には、きっかけになったことだけ話した。
しばらくは、私は、休んでいると言うことにされていたらしい。
会の内紛のような印象を、他の会員に与えたくないという、彼の老獪さの故であろう。
私は、そんなことを取り繕う必要はないので、誰かに訊かれると「辞めました」と、明言している。
大人しい女性たちは、私が辞めたことを知らされても、彼に気を遣ってか、何も言ってこない。
ただひとり、若い男性が、心配してくれて、会報などを送ってくれる。
その優しさに感謝しながら、今まで二年近く身を置いていたところから、一方的に、切られてしまったことに、悔しさと、憤りを感じている。
彼女の方は、最近会に復帰したという。
私がいなくなって、居心地が良くなったからであろう。
彼の方からも「そろそろ出てきませんか」などと、誘いがあったのかも知れない。
「よい戦争より、悪い平和の方が大事」というのが、彼の口癖であった。
「あなたは下手なのよ。自分が悪いとされるような方向に、自分から持っていってしまうのよ」と、私をよく知る人からいわれた。
「正しいことを云えばいいってもんじゃないのよ。それで、傷付く人もいるんだから」とも、云われた。
どちらも、人間社会で生きていくための、一面の真理であろう。
ただ、私が大きく傷付いたことは、確かなのだから、少しは、それを思いやってほしい。
私がいなくなって清々したと言わんばかりに、新しい人を会員にしたり、愉しそうな会合の様子を、ホームページで見せびらかすのは、ちょっとひかえてほしい。
ついこの間まで、参加していたプログラムに、私は、加わっていないのだから。



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