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台風が近づいている。 東京を直撃するかどうかは、定かでないが、念のため、テレビをつけて、時々情報を見ながら、パソコンの前にいる。 7月に、私はそれまで属していた、あるサークルを辞めた。 自分の意志と言うより、私の存在をこころよく思わない人の、詐術によって、辞めるべく仕組まれたといった方がいいかも知れない。 サークルの中では、私は、言うべきことは、その場できちんと言うという態度で、通してきた。 しかし、リーダー格の人は、もともと、女性からはっきり物を言われることの嫌いな人である。 サークルは、別に会長がいたが、事実上仕切っているのは、総合的な企画力を持ち、人集めの才に長けたその人だった。 会員は16人ほど、みな彼の識見、能力、詩的才能を認めて、基本的には、彼のやり方に納得している人たちだった。 特に女性は、内心はともかく、彼に従い、決して表面上逆らわず、頼まれれば、協力し、平和にやってきているように見えた。 そんなところへ、どうして私のような、人間が入ったのか、わからない。 彼の誘いで、時々ゲストとして、顔を出しているうち、「入りませんか」と言われ、私は、その会の雰囲気が好きだったので、喜んでメンバーに加えてもらった。 思ったことを、はっきりと言うところが、ちょっと面白いと、思われたのかも知れない。 メールの交換などを通じて、お互いのこともわかるようになり、ずいぶんいろいろなことを、教えてもらった。 博識で、感性豊かな彼から、学んだことは大きい。 しかし、そういう人には、関心を寄せる人も周りに沢山いる。 私が入るより前からいたある女性も、彼には、好意と興味を持っていて、彼の方も、自分よりずっと年下の彼女をかわいがり、会の中でも、彼女の存在は、特別のようだった。 彼女は、会計を受け持ち、会のホームページを作ることで、存在感を発揮した。 会の運営は、彼と彼女、会長と、もうひとりの若い男性との4人で、事実上、行われていた。 誰も異を唱える人もなく、車の4輪は、うまく回っていたのである。 そんなところへ、あまり大人しくない私が、入ったのである。 会の行事や、計画をめぐって、彼のワンマンぶりに、私が異を唱えることが時にあったりして、彼は、だんだん、私を、目の上の瘤と感じるようになったらしい。 また彼女の方も、それまで、一身に関心を集めていた彼が、私と共同作品などを作っていることに、面白くない気持ちがあったようだ。 今年の3月頃に、私のアイデアを、彼女が、シラッと自分のものにすり替えてしまうということがあった。 それは、会とは関係ないことではあったが、私は、そのことで、彼女を信用できない人だと思うようになった。 そのアイデアは、別の圧力で頓挫したが、彼女は、それを、私のせいだと思ったようである。 彼から来たメールで、彼のもとには、彼女からの一方的な情報が伝わっていたことを知った。 その計画は、成功すれば、彼女の手柄話になるが、うまくいかない場合は、私に責任をなすりつけられる可能性があったので、私は、早い段階で、身を引いていたのである。 しかし、情報が、いろいろある場合、人間は、自分に近い人のいうことを、まず信じるものだ。 彼が、まず彼女のいうことを信じ、私のいうことを、二義的に考えたのは、当然だったかも知れない。 それだけ、二人の間の情報交換が、上回っていたということになる。 それを、説明しようとすれば、彼女を非難することになり、それは、自分の人間を下げることになる。 それは、したくなかった。 つまり、私はええカッコしいで通したのである。 彼は、私の言うことが、曖昧で、よく分からないと言いながら、それ以上、訊いてこなかった。 それは、そのことで、一段落したと思っていた。 ただ私は、それ以後、彼女とは、一線を画すことにしたので、顔を合わせても、必要以上の会話はしないという態度を決めていた。 四月頃から、彼女が、会の例会を、ちょくちょく休むようになった。 連れ合いの仕事が変わって、忙しいということだったが、七月になって、私は、気になり、「どうしたんでしょうね」と、彼にメールで訊いてみた。 その返事が、何か、奥歯に物の挟まったようなものだったので、私は、何かあるなと分かった。 しかし、そういうことを明らかにしないのが彼のやり方であり、それは、彼なりの配慮であっただろう。 私もそれ以上、訊かず、表に出ないことは、ないものと思うことにした。 私のような人間は、いない方がいいのかなと思ったりしたが、彼の言う「悪い平和」を守って、行くことにした。 そのすぐ後に、私が、ホームページを、会のページにリンクしてほしいというのを、彼女は断ってきた。 納得のいかない理由だった。 そして、それに関して、二,三回彼とメールをやりとりしているうちに、「原因は、あなたと彼女の間に、以前からあるトラブルです。それを会に持ち込むのは不愉快だ、辞めてほしい」と、言われたのである。 私は、会にトラブルを持ち込んだという自覚はなく、それがどういうことか、はっきり説明してほしかったが、彼から答えのないまま、私の方から、辞めた。 他の会員には、何の関係もないことである。 それから二ヶ月経つ。 彼女からは、何も言ってこないし、もちろん、彼からも音沙汰はない。 私がなぜ急に辞めたのか、知らないメンバーから、電話がかかってきたが、いきさつを話すわけに行かなかった。 ただ、会長に当たる人には、きっかけになったことだけ話した。 しばらくは、私は、休んでいると言うことにされていたらしい。 会の内紛のような印象を、他の会員に与えたくないという、彼の老獪さの故であろう。 私は、そんなことを取り繕う必要はないので、誰かに訊かれると「辞めました」と、明言している。 大人しい女性たちは、私が辞めたことを知らされても、彼に気を遣ってか、何も言ってこない。 ただひとり、若い男性が、心配してくれて、会報などを送ってくれる。 その優しさに感謝しながら、今まで二年近く身を置いていたところから、一方的に、切られてしまったことに、悔しさと、憤りを感じている。 彼女の方は、最近会に復帰したという。 私がいなくなって、居心地が良くなったからであろう。 彼の方からも「そろそろ出てきませんか」などと、誘いがあったのかも知れない。 「よい戦争より、悪い平和の方が大事」というのが、彼の口癖であった。 「あなたは下手なのよ。自分が悪いとされるような方向に、自分から持っていってしまうのよ」と、私をよく知る人からいわれた。 「正しいことを云えばいいってもんじゃないのよ。それで、傷付く人もいるんだから」とも、云われた。 どちらも、人間社会で生きていくための、一面の真理であろう。 ただ、私が大きく傷付いたことは、確かなのだから、少しは、それを思いやってほしい。 私がいなくなって清々したと言わんばかりに、新しい人を会員にしたり、愉しそうな会合の様子を、ホームページで見せびらかすのは、ちょっとひかえてほしい。 ついこの間まで、参加していたプログラムに、私は、加わっていないのだから。
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