沢の螢

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碁敵
2002年10月14日(月)

昨日に続きよい天気。
こんな日に、一人でシコシコ、パソコンに向かっているなんて、ゾッとしないのだが、連れ合いのいない休日は、またよきかなである。
尤も、連れ合いがリタイアしてからは、毎日が日曜日で、今日が連休の1日だということも、忘れていた。
新聞を取りに行って、いつも最後にあるテレビ欄がないので、気が付いたという次第。

溢れ蚊や碁敵の来る勝手口
有明を見てより旅のはじめかな

おとといの発句の会で、出句したもの。
碁敵は、6人、有明は2二人が採ってくれた。

碁敵は、別に碁をしなくてもいい。
私自身は、碁も将棋も、不調法である。

碁敵は憎さも憎し懐かしく

この句を教えてくれた人がいて、いい句だなと気に入った。
その人の句か、他の人の句か、訊くのを忘れたが、それから、私は、よい友達のことを碁敵ということにした。
よい、というのは、単純ではない。
たまには、辛口の批評もするが、本当のことをいってくれて、しかも、私の涙を暖かく包んでくれる人を、碁敵と呼びたい。

若い頃、碁敵の名にふさわしい男の友達がいた。
病気で、休学したり、何年も浪人したりで、同学年でありながら、私より4つも年上だった。
男兄弟の末っ子で、ややマザコン的な彼と、4人きょうだいの長女である私は、バカにうまがあって、いろんな話をした。
一緒に入っていた合唱のこと、仲間のこと、家族の話、社会や、本のこと・・・。
便せん20枚という長文の手紙を、ちょいちょい書き送ったこともある。
「また大作か」と、笑いながら、返事をくれた。
私には、好きな人があり、彼にも、意中の人がいた。
それぞれの恋の話を、さらけ出して、お互い異性ということなど、全く感じない間柄だった。
在学中に彼は、また長期入院をして、卒業が1年遅れた。
一足先に社会人となった私の会社に、時々訪ねてきて、退社時間を待ってくれた。
「あなたの彼氏なの」と、間違えられたこともある。
周りから見ると、ちょっと理解しがたい、不思議な関係だったかも知れない。
しかし、癌に冒されていた彼は、33才という若さで、妻と幼い2人の子を残して、他界してしまった。
彼が、結婚する前、私が送った何十通もの手紙を、返そうかと、いってきたことがあった。
ラブレターではないものの、お互いの心の内をさらけ出してやりとりしたものを、妻になる人に、見せたくなかったのかも知れない。
異性間の友情には、やはり限界があるのかなと、私は悟った。
「一度送ったものは、あなたのものだから、もし邪魔だったら、捨ててもいいわよ」と、わたしは言った。
「じゃ、とっておくよ」と彼は言い、それきりそのことは、話題にならなかった。
彼が亡くなってから、その連れ合いに、それとなく訊いたことがある。
「遺品の中には、見当たらないようです」という返事だった。
死期を悟った彼が、最後の入院の前に、処分したのかも知れない。
彼が亡くなったのは、ちょうど今頃の晩秋の時だった。
富士山の見える静かな墓所に、眠っている。

そして今、私には、碁敵と呼べる人はいない。



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