風のひとり言
kaze

■■■
■■
■ 上半期総括

いよいよ6月も最終日を迎えて、今年も残り半分。
上半期はいかがでしたか?(笑)
毎度のことながら、時のたつのが早いと感じ、着実に年寄りになっている今日この頃ですが、
皆さんはいかがお過ごしでしょうか(爆)
・・・とまぁ、なんて書き出しなんでしょう(自爆)

冗談は置いておいて、もう今年も半年が終わってしまう。
自分にとっての上半期を総括してみても・・・ため息かな・・・(苦笑)
慌しく通り過ぎた半年間であったが、実は3月頃に大きな転換期を迎える予定?だった。
公私の面での転換期であったが、私の転換しか成しえなかった。
公の部分については、思わぬ事情で迎えることも出来ず、今日に至っている。
・・・かといって無意味に過ごしてきたわけではない。
そう、胸を張って言いたいところではあるが、それすら自信がないのかも。
あっ!上半期の大事な?忘れ物があった!
1月初旬に、左手手の平の小指下にとげが刺さったんだけど・・・
実はまだ取れていない(笑)
かなり奥深く入ったようで、何度かトライしたものの全然駄目。
いずれ、手術(って大袈裟過ぎないかぁ?)で取ることになりそう(泣)@医者の話

2002年という年のあと半分。
いかに充実させ、自分が納得できるのか・・・
何を選択すればいいのか・・・
それについて、きちんと自身と向き合う必要があると思っている。
「後悔のない選択はない」
友達が送ってくれた言葉を噛みしめつつ、選択肢を考えていきたいと思う。

1年という長いスパンの中での、1つの区切りである半年。
皆さんはどんな上半期でしたか?
そして、下半期どう過ごしますか?



2002年06月30日(日)

■■■
■■
■ 撮影裏話

先日完成した作品は「マナー」についての番組だった。
昨日のひとり言に書いた調査結果も、その番組の為に調べたデーター(笑)
最近マナーの悪さが目立つので、一人一人が注意しましょうという、とても健全な番組(爆)

こういう番組の撮影で難しいのが、マナー違反をしている人をどう撮るかということ。
個人を特定できてしまう撮り方は駄目だし、かといって画面にモザイクをかけるのもいやらしい。
結局そういった悪い例はスタッフが実演することに(笑)
こういった話はよくあるもんで、何度ビデオに出演したことか・・・(自爆)
過去の出演した作品で、一番サイテーだったものがある(笑)
それは、江戸時代の旅人姿を再現したシーンだった。
かつらをかぶり、三度笠をかぶり、縞模様の着物を着て、わらじを履き・・・
それで街中歩いたもんだから、注目の的。
知らない人には写真を撮られるは、もう散々(泣)
二度と変装?はしないと心に誓った出来事(笑)

で、今回のはまとも(?)
自分の役目は煙草のポイ捨てだった。
煙草を投げ捨てるのだが、この投げ捨てる場所にも制約がある。
当然ながらカメラに写る場所に捨てなきゃいけないわけなのだが・・・
これが結構難しかった(笑)
おりしも風のある日の撮影だったものだから、うまく落ちても転がったり・・・
そうこうしてるうちに煙草はどんどん短くなるし・・・
結局、チェーンスモーク状態・・・
立て続けに5〜6本吸ったかなぁ。
ようやくOKが出た時には、眩暈でくらくらでした(爆)

撮影の裏にはこんな苦労もあるんです(笑)

2002年06月29日(土)

■■■
■■
■ マナー

東京都が都民3000人を対象に調査したアンケート。
「マナーが悪いと感じる時はどんな時?」
この解答の1位は何だと思いますか?
煙草の歩行喫煙やポイ捨て。あるいは車内の携帯電話の使用など。
ふと思いつくのはこんな感じでしょう。
でも、これらは2位、3位。
実は1位は意外にも「公共の場においての子供の騒がしさ」だそうです。
まぁ考えてみたら確かにそう思うことあるよなぁ。
がしかし、それが煙草や携帯を上回って1位とは、みんな怒ってるんだね(笑)

実際見かける親の中には、
「ほら、あそこのおじちゃんが睨んでるから静かにしなさい!」とか
「ほら○○ちゃんのせいで、ママが怒られたじゃない!」とか
そんな無責任な言葉をよく耳にする。
誰それがどうだから静かにしろ・・・これは根本的に間違ってるだろう。
そうじゃなくて、
「こういう場所では静かにするものだよ」ときちんと子供に言い聞かせる親の少ないこと・・・
電車内で騒ぐ、土足で平気で椅子に立つ、病院内を走り回る。
こんな光景をしょっちゅう見かける。
で・・・親はと言えば、我関せずに本を読んでいたり、おしゃべりに夢中・・・
これじゃ子育てと言わんでしょう・・・

親がそういった他人との隔絶した態度を子供に見せれば、
ますます無責任な子供が増えていくだけ・・・
そして、なんでもかんでも他人のせいにしていく子供が育っていく・・・
こんな怖いことがあるだろうか。
子供は親兄弟の悪い面は簡単に吸収する・・・
誰も教えていないのにも関わらず、いつの間にか兄弟の悪い面を真似している・・・
だからこそ、子供の前ではきちんとした手本でいたい・・・

自由に伸び伸びと育てること。
それは大事だが、全くの放任も困ったと感じてしまう。

2002年06月28日(金)

■■■
■■
■ 子どもの心

幼い頃・・・
誰もが持っていたはずの純真な心は
一体どこへなくしてしまったのだろう

子どもならではの発想
子どもならではの思いは
遠い過去に置き去りにしてしまった

大人になるということは
膨大な知識量と引き換えに
その心を捨ててくることなのだろうか。
もう一度そんな心を持ってみたい

友達が言ってたこと・・・
人間は出来ないと思った瞬間から、出来ることも出来なくなる・・・
まさにその通り。
出来ないと思う心は、結果を先読みする心。
結果を先読みした上で、損得勘定をしてしまう。

子どもは結果を恐れない
否、結果を知らないからこそとも言える。
知識の引出しには様々な情報がしまわれていて、
その出し入れによって、出来ないことと結論付ける・・・
それが・・・大人なのだろうか。

だとすれば・・・
もう一度そんな子どもの心を呼び覚ませたい・・・

2002年06月27日(木)

■■■
■■
■ 虚言癖?

知り合いの女性に虚言癖?と思われる人がいた・・・
彼女に言うことは、言う相手によって内容が異なる。
例えば現在の生活環境であったり、父親の職業であったり・・・
生まれ育った環境なども、時として変化する。
話の相違点を突っ込んで聞いてしまうと、
「え?そうでした?」と悪く言えばシラをきったり、誤魔化したり。
こうなってしまうと、信用はなくなってしまう。

「ここだけの話ですが、芸能人の誰それとはいとこで、両親が結婚式呼ばれたんです」
(これは、数年前に当時人気絶頂だった女性タレントの話→すでに離婚)
「誰それは私が事務所に応募したんですよ。母方の親戚で、時々会ってるんです」
(これは現在活躍中のJ系グループの1人)
「この前誰それと飲みにいって、『送るよ』って言われたのを断ったんですよ」
(これもJ。しかもTOPクラスの・・・しかも既婚者(笑))
って、芸能ネタばかりだけどね。
仕事上でも、こんな調子。
「ロケ先のホテルで、カメラアシスタントに言い寄られた」だの
「監督にいじめられた」だの・・・

最初のうちこそ信じていたものの、だんだんそれがエスカレートするにつれ、
誰も信用しなくなってしまうものだよな。
狼少年の話じゃないけどね。
悩み相談を受けたこともあったが、悩んでる当の本人が忘れたりもするから、
次第にこちらも受け止めなくなってしまう。

極めつけは、俺がその彼女のことを「好きだ」って噂を、本人が流してたこと・・・(汗)
というか、彼女に言わせれば、何人もの男が彼女を好きでいるらしい(爆)
もうこうなると何も言えませんし、何も出来ません・・・
妄想狂なの虚言癖なのか確信犯なのか・・・何がそうさせるのかはわからないけど、困ってしまう。

そういえば、いつでも夢見心地の人もいるよなぁ。
自分の世界を構築して、その世界だけに住んでいるような人。
あるいは、被害者意識が強いって人も多くみられるような気もする。
ほんの些細な出来事も、拡大解釈して大騒ぎするタイプ。
でも、そんな人ほど、実は自分の行動に無頓着だったりもするわけで・・・
平気で人を傷つけても気付かないし、何が人を傷つけるかも理解していないんだよね。

今って、そんな人が多くなっているのかもしれない。
それは・・・何の所為なんだろうか???





2002年06月26日(水)

■■■
■■
■ イメージ

ネットで会話している人に対して「この人はどんな人だろう」って考えることがある。
その相手への判断基準は本人の発言とその内容。そしてHNか。

話をしていくうちに、おぼろげながら相手のイメージを膨らませてしまうことがよくある。
そしていざ会ってみると・・・・・・全然違う(笑)
例え写真をもらっていても、会わないとわからないことは多い。
まぁ・・・そういう自分は一体どんなイメージをもたれていたのか・・・
非常に興味はあるけど・・・あえて聞かない(爆)

それにしても、そのイメージ・・・自分の場合とてもいいかげんだと思う(笑)
例えばHNが、自分の知り合いと同じ名前だったりすると、
『違う』とわかっていても、その人を真っ先にイメージしてしまう。
あるいは大人なのに、非常に子供っぽい感性などを見つけてしまうと、
そんな感じの知り合いに重ねて見たりしてしまっている。

何を根拠に、こうイメージしてるという、その根拠すら見つからないままに
「彼はこんな人」「彼女はこんな人」ってイメージを、勝手に作り上げているんだよね。
そしていざ会った時のギャップ・・・
良くも悪くも、そんなギャップって必ずある。

結局人間は想像力豊かであるが故、色々な事を想像してしまうが、
その本質は、それに似合った過去の出来事や相手を、
自分でも気付かないうちに記憶の引出しから出して来て、無意識に重ねて見ていたりするんだろうな。

そんなギャップをある意味楽しんでたりもする。
意外な発見などもあったりするしね。
だから、人と会うことは面白い・・・


2002年06月25日(火)

■■■
■■
■ 誤審

今朝の新聞を開いて驚いた・・・
「FIFA誤審を認める!」と大きな見出し。
どの試合の何とは言及していなかったものの、大きなミスが1つ2つあったと発言。

これは・・・どうなんだろう。
そりゃ世界的に非難の的にされたことで、
しぶしぶながら・・・という事はあるかもしれないが、やはり何か納得できない。
未熟であろうが、技術が伴っていなかろうが、審判員はFIFAの組織下の人間だろう。
会社で言うならば、社員に違いないはず。
今回FIFAの「誤審」発言により、社員である審判員は会社に裏切られたことと同じではないか?
会社側はその責任を社員に押し付け、知らん顔を決め込む・・・
まぁ・・・どこでもよく聞く話だけどね。

社員のミスに対して「あれはうちの社員のミスです。ごめんなさい」と謝罪する場合、
そこに何らかのフォローなり、責任をとるべき方法が必要のはず。
が、今回の場合・・・いや、スポーツにおける誤審を認めた場合、
そこに再試合を行うことが不可能であるなら、認めるべきではないと思う。
それを認めたからといって、勝敗が覆るわけでもなく、
特に今回のようなトーナメントの場合は、その全てに影響を及ぼす。
誤審により敗退に追い込まれた国は、「誤審でした」という発言だけで納得できるのだろうか。
審判の判定の問題は、サッカーに限らずどのスポーツにもある。
が、それもまた「運」に近いものがないだろうか。
ある解説者が言った言葉に、「スポーツは審判の判定も含めてスポーツだ」とあったが、
まさしくその通りであろう。

今回の韓国戦に見られる多くのジャッジミスは、本来は勿論あってはならないことである。
がしかし、判定するのは人間である以上、
あのスタンドを埋め尽くす程の真っ赤な韓国応援団を前にしては、
その雰囲気に圧倒・飲まれてしまえば誤審もありえる。
これがホームの強さであり、開催国の強みでもあるのではないだろうか。
所詮人間が行っている判定だからこそ、間違いもある。
それを寄ってたかって糾弾するくらいなら、初めから人間を起用しなければいいだけの話。

会社から裏切られ、孤立無援になってしまった審判員たち・・・
自分の身の回りでも起こりえる話だけに、FIFAの対応には自分としては納得がいかない・・・



2002年06月24日(月)

■■■
■■
■ ジャッジ

W杯をテレビ観戦していて、つくづく思ったことがある。
それは審判のジャッジについて。

スポーツにおける審判のジャッジは、絶対のものである。
そして、そのジャッジ一つによってゲームが大きく左右されることが多い。
特にサッカーなどのように、両チームが入り乱れてプレーする場合でのジャッジは、
相当に大変な労力であろう。
早いプレーに伴うジャッジは中途半端には出来ず、審判の判断の元、即座に判定を下さねばならない。
W杯においても、そのジャッジ一つで試合が大きく変わった、あるいは結果に影響した試合が多くあるだろう。
個人個人が思っているに違いないが、日本の快進撃もそうしたジャッジに救われた面も多くあるように思う。
勿論不利な判定もあったけど・・・

予選リーグでのイタリア戦の主審を務めた審判が誤審を認めたという。
がしかし、誤審を認めることが潔いのだろうか?
それに影響を受けたチームは、当然再試合の権利を主張するだろう。
が、当然再試合など認められない・・・
ならば、その審判は何故告白したのか。
審判は人間なのだから、当然誤審もある。
それは、人間を起用している側は十分承知のはず。
数年前シドニーオリンピックの柔道100キロ超級決勝において、
日本の篠原選手が審判の誤審により金メダルを逃した。
「世紀の誤審」と言われた有名な話だが、これも最終的には、誤審とは認めていない。

かつてプロ野球の二出川審判部長は、判定不服の抗議に来た監督に対し
「私がルールブックだ」という名言を残している。
そのくらいまでに自分のジャッジに自信を持ち、審判たるもの威厳を持って望んで欲しいと願う。

とはいえ、審判にまつわるきな臭い話というのは、いつでもあるもんだが・・・
正直今回のW杯も、そうした疑いをかけられても仕方のないような試合、あるいはプレーが多くあった。
特に開催国が出場する試合・・・
韓国戦などは余計に目に付く。
イタリア戦も、昨日のスペイン戦も・・・
イタリアはFIFAを告訴するとまで言っているようだ。
日本もまた、明らかなPKだろうというファールを取られずにすんだりして救われた場面がいくつかあった・・・

で・・・自分の思うこと。
今、この時、この瞬間は二度と戻ってはこない。時間は止まってはくれない。
だからこそ、瞬時の判断が要求される。
ジャッジに時間をかけることはゲームの流れを止めることでもあるのだ。
同様なことは、日常においても数多くある。
自分自身がプレーヤーであり、審判でもある日常生活においては、
やはりその流れを止めないような、一瞬の判断力を心掛けたいものである。
何事においても、そんな即座の判断力を身に付けたいと思う。

勿論誤審をしても、それを認めない(笑)


2002年06月23日(日)

■■■
■■
■ 自由な心 

人は元来自由なんだと思う。
生まれた時は自由だったと思う。
勿論親を選べなかったという事はあるかもしれない。
が、しかし、生まれた時においての心は、自由であることに変わりはない。

その自由を束縛するものは何か。
それが本人を取り巻く環境であることは間違いない。
両親であり、親戚であり、学校や社会でもある。
そこに存在する「常識」や「マナー」や「モラル」が本人を取り囲み、
自由であるはずの心に、制約を付けていく。

抵抗すれば叱られる。
自己主張すれば否定される。
善悪とは何か・・・常識とは何か・・・
そういった相手の価値観を押し付けられて、
そして人間が形成されていく。

自分を認めてもらうことは、相手の価値観にあわせる、もしくは近づけること。
自分を否定されることは、相手との価値観がそぐわないだけ。
多くの人間に認められなくても
多くの人間に否定されようとも
少数の人間が理解してくれればいいじゃないか。
無理に自分を騙して、人に迎合することはない。

自分自身を否定するのは自分だけでいい。
人に否定はされたくない。
そして自由な心はいつも持っていたい。
自分で考え、自分で作る基準・・・それが自分自身の価値観なのだから。


2002年06月22日(土)

■■■
■■
■ 人の死

悲しみは突然にやってくる。
人の死は、こちらに構える余裕を与えてくれない。

娘のれいは、小さい頃から感受性の強い子であった。
マンガのビデオを見ても、主人公たちの別れのシーンになるといつも涙ぐむような
そんな子であった。(父親似か?)
少しでも知っている人の「死」に直面すると、残された人の悲しみを
そのまま受け継ぐかのように、自分のことのように悲しみにくれる。
そんな彼女を襲った悲劇・・・

たぁくんが通っている幼稚園の園主先生が、昨日突然に亡くなった。
原因は、幼稚園バスの運転中に心不全の発作に見舞われたらしい・・・
幸いにも園児は乗っていなく、事故の大きさも大したものではなかったようだが・・・
れいもゆうも通った幼稚園の先生であり、園の創設者であった先生の死に直面し、
れいは泣いたという。
現在修学旅行に行っているゆうもまた、聞けば驚き悲しむだろう。
もしかしたら、修学旅行生の中には同じ園の卒園者が幾人もいるので、
連絡もいっているかもしれない。

3歳のたぁくんは、おそらく人の死の意味もまだわからないだろう。
通夜・葬儀と出席したところで、何が起こっているのか理解できないに違いない。
ただただ異様な雰囲気のもと、大勢の人間が悲嘆に暮れているのを見るだけである。
そういえば自分もまた3歳の時に祖父の葬儀に立会い、
集まった人間の多さに戸惑いながらも何故かひとりはしゃいでいたらしい・・・
当の本人は、そんな記憶、微塵もないのだが・・・

人の死はいつも辛く悲しいもの。
その姿、形はなくなってしまっても、
その人がここに生きていたことだけは忘れないで欲しい。
そして子供たちがこの悲しみを心に溜める事で、生と死をきちんと考えて欲しい。

園主先生のご冥福を心からお祈りいたします・・・

2002年06月21日(金)

■■■
■■
■ 街の変化

先日、およそ15年ぶりくらい?に女房と二人で新宿を歩いた。
女房と出会ったのは学生時代。
約20年前であるが、当時のデートはもっぱら新宿がメインであった。

今の新宿の街は、当時とは様相もかわり、馴染みであったいくつかの店も姿を消していた。
飽きもせずに何時間も話し込んでいた喫茶店。
女房を友達に紹介した飲み屋。
そして、無理やり自棄酒に付き合わせたパブ。
それらの店のことごとくが、当時の看板を無くし、別に店へと変わっていった。
歩を進めるごとに、懐かしさと同時に寂しさも募る。

そういえば会社のある渋谷も、20年前と比較してしまえば驚く程の変貌ぶりである。
当時そこに何があったのか・・・ひとつひとつを思い出そうとしても、
なかなか思い出せないくらい、あるいは覚えきれないくらいに変化を続けている。
昨日書いた中学校の件もそうであるように、形あるものはいつまでもその原型をとどめない。

街は時とともに変化する。
そんな当たり前のことを、頭では理解していても
時の変化によっても変わらない、普遍的なものを探し、期待してしまう。
が・・・なかなかそんなものは見つからないのも現実である。
時は無常である。その無常の流れの中に、数々の思い出も埋没されてしまっている。

ふと思った。
ただ一つ・・・当時と変わらないものがあった。
それは、この街を肩を並べて歩いた相手。
お互いに街の変化に戸惑い、驚きながらも、
行き過ぎた時の長さを、改めて感じた瞬間でもあった。
たまにはいいもんだ(笑)


2002年06月20日(木)

■■■
■■
■ 同窓会案内

昨日20数年ぶりに中学時代の友達から電話があった。
突然だが週末に同窓会をやるという。
なんでも、通っていた中学校が来年春に廃校となり、隣接する別の中学に統合されるそう。
通っていた当時、1学年5〜6クラスで、1クラス40名前後だった生徒数も、
今では1学年2クラス、あわせて50人くらいの生徒数になってしまったとか・・・
まぁそんな機会だからこそ、会おうかという話になったらしい。

少子化のあおりを受けて、あちこちで学校が統廃合を繰り返している。
小学4年生まで通っていた学校。
ここは今でも健在だが、在学中校舎の建て替えにより、
2年間近所の3つの小学校わかれて通っていたことがあった。
自分の通った2つの小学校。今では地図からその名前がなくなっている。
一つは廃校、もう一つは統合、新築され、学校名も変わった。
先日機会があって、校舎を見に行ったが、当時の面影すらなくなっていた。

中学を卒業しておよそ四半世紀。
改めて、時の速さとその永さを痛感せずにいられない。
自分を含む、学校も町も生活も全てが変わっていった。

そういえば電話をくれた相手・・・
中1のときに同じクラスであった彼とは、教育実習の先生の授業中、
取っ組み合いの喧嘩をしたことを思い出した(笑)
半べそかきながら止めに入る実習の先生を尻目に、殴りあったことが思い出される(爆)
これもまた、遠い昔の出来事・・・

で・・・不思議なことは、その時の実習の先生とは今でも年賀状のやりとりが続いてる(笑)
何でか、気が合った・・・というのか・・・なんなんだろうか?(苦笑)
そしてもうひとつ不思議な事は・・・
電話くれた友達が、何故自宅の電話番号を知っていたのだろうか??・・・・・謎だ


2002年06月19日(水)

■■■
■■
■ 大丈夫・・・

しまい忘れていた心を

ようやくしまいこむ時が来たようだ

大丈夫?

そう自分に問いかけてみても

今の答えは「うん」だけ・・・


いつか引出しを開けたとき

その心を見つけたとき

懐かしさだけ

ただそれだけが蘇ってくるのなら

それでいい


2002年06月18日(火)

■■■
■■
■ サッカーW杯

今回のW杯。日韓共催とはいえ、異常なほどの盛り上がりを見せている。
特にマスコミの過熱ぶりが、その盛り上がりに油を注いでいるようにも感じる。
司会進行は勿論のこと、ゲストコメンテーターにいたるまで、
全日本の青いユニホームを着ている。
TVをつければ、その特集ばかり。
スポーツの祭典であるオリンピックの時ですら、ここまでではなかったようにも思う。

そして、その過熱の原動力となっている若者たち・・・
彼らのぶつけることのない有り余った力が、一気に噴出しているようにも感じられる。
そして思うことは・・・
日本がある時点で負けたとき、そのパワーはどう作用するのか。
負けたその晩に、街中ではどんなことが起こるのか。
騒ぐことだけを目的としたような若者が暴徒と化すのか。
とまぁ、不安な気持ちがあるのと同時に、その後のマスコミの対応も非常に興味がある。
横浜での決勝戦@6月30日まで、報道にもおそらく変化が見られるのであろう。

そのマスコミ・・・
彼らは今大会開催まで、サッカー協会にならえのごとくトルシェ批判を繰り返してきた。
この4年間、協会は文句ばかりであった。
それが結果を出した途端に、掌を返して賞賛に変わった。
国会では、決勝トーナメントで1勝でもすれば「国民栄誉賞」授与も検討するという。
結局、そんなもんだよね。日本って・・・
トルシェは4年間も日本にいて、公的には一言も日本語を話さない。
これは・・・賛否両論あるであろうが、
おそらく、片言でも日本語は少しでも覚えているのであろうが、それを話さないことに、
彼の意志の強さを感じてしまう。

日本に招聘されながらも、卑屈になることなく、媚を売るものでもなく、
自分の信じる道をただ目的に向かってひたすら走る・・・
そんな所に共感を覚える人も多いのではないだろうか。

さて・・・明日はトルコ戦。
町場では楽観ムードが漂い、次戦のセネガルばかりに目が行っているようだが、
意外にトルコって強いんだよなぁ・・・
ガンバレ!ニッポン!


2002年06月17日(月)

■■■
■■
■ 宴の跡?

一昨日の帰途・・・渋谷はものすごい混乱状態だった。
ハチ公前のスクランブル交差点が一方通行になってる。。。
警官隊が3重にバリケードを組んで、駅に向かう人を規制する。
「あのぉ駅に行きたいんですが・・・」
「申し訳ないですが、一方通行にしてますので、駅に向かう方は地下街を通ってください」
う〜んなんて勝手な!(笑)
とはいえ、異常な興奮に包まれて、怒涛のように押し寄せてくる青い波の中を
逆行する勇気もないか(爆)

行き交うユニホーム姿の若者は奇声を上げながら、知らないもの同士ハイタッチで勝利を祝う。
ユニホームがある種彼らの連帯感を生み、そしてステータスとなっているのだろうか?
メイン通りをバイクで走るユニホーム姿の若者は、群衆に取り囲まれ、停車を余儀なくされる。
ここでもハイタッチだ。
センター街ではあちこちにグループが出来、怒声のような万歳コール。
なんだか、日本であって日本でなくなったような、妙な感覚を味わった。

そういえば昼にクライアントに向かう電車の車中は、さながらサポーター電車だった。
まだキックオフには数時間もあるというのに、雨の国立競技場に続々と集まる青い波。
ユニホームもかなり売れてるんだろうなと、そんなことを思ってしまう。
しかし・・・あのユニホーム・・・W杯終了後はどう使われるんだろう?
家着として、あるいはタンスの肥やしになる人が多いんだろうな・・・
しかも次大会にはまた全日本のユニホームも変わるだろうし・・・
あれは・・・応援ごとに買い換えてるのかな?結構高いみたいだけど・・・
まぁ・・・これもまたW杯の経済効果?なのか(笑)

大阪の戎橋から道頓堀川に飛び込んだ人間が、午前1時過ぎには2400人を越えたらしい。
(某社記事によるのだが、別の記事では500人になってたり・・・)
大阪人にとって、あそこに飛び込むのは、喜びの表現なのか?(笑)
とはいえ、あくまでも想像だが、
「お前の今日の仕事は、川に飛び込む人数をきちんと数えることだからな!」
と上司に厳命され、取材の傍らで必死になってカウントする
新入社員もしくはアルバイトの学生の姿を思い浮かべてしまったりする(笑)
内心は「ちくしょ〜〜なんで俺がこんな数を数えていなきゃいけないんだよぉ〜〜(あっ、また飛び込んだ)」
とかね(爆)
でもまぁ・・・川に飛び込んだのが100人だろうが1000人だろうが、
記事のほんの数文字で消化されてしまう、しかも「だからどうした?」という部分のはずなのに、
間違いなくそれをカウントした人(しかも専任で)がいたわけで・・・
取材ってのは苦労はつき物です(自爆)

話がそれてしまった・・・(汗)
書きたかったことはまだあるが・・・それはまた今度(爆)

2002年06月16日(日)

■■■
■■
■ 嫌いな相手

何にでも好き嫌いがあるように、人間同士にも好き嫌いがある。
自分とあう、あわない・・・これは誰にでもあることだろう。
同様に「好き」「嫌い」という相手がいてもおかしいことではない。
勿論「好き」「嫌い」に二分するでなく、
その中間「どっちともいえない」相手もいるだろうが。

好きな相手との関係については、今更言うこともないのだが、
では、嫌いな相手・あわない相手とは、どう付き合っていけばいいのだろうか?
単純に関わらなければいい・・・そんな事ができる相手なら問題ないのだが、
そう簡単に割り切れないのが現実社会。
自分の天敵と思われる相手とでも、付き合わなければならない状況はいくらでもある。
そして何故か、得てしてそんな相手との関わりが多いのが現実でもある。

ただ思うに、そんな相手の全てを受け入れる必要はない。
どんなに嫌いな相手でも、どこか共感できる一面とか、良い点があれば、
そこを見てあげればいい・・・とは言うものの、そうはうまくいかない。
「嫌い」という感情が膨らめば、その相手の全てを嫌うこととなり、
その相手の人格すら否定することになる。
そこに良い点を見出そうと考えてみても、拒否反応しか出ないものだ。

嫌いでも付き合う・・・
これが大人なのかどうかはわからない。
また、嫌いでも付き合うことは、自分が単純に「嫌い」を表現できない時もある。
相手が気がついてくれれば・・・というほのかな期待をしてしまうのは、
それは単なる臆病で、弱虫か?
大人と言えば大人。子供と言えば子供でもある。


2002年06月15日(土)

■■■
■■
■ 悩ましい質問・・・

質問です。
�.肇�メキってどんな色?
��朝、起きたらまず誰のことを考える?
�9イ�と愛してるの違いは、何?
�げ甬遒販鮖砲琉磴い蓮�何?

昼飯の友(ちょっと違うか・・・)森永のハイソフトキャラメル・・・
昼飯が食べれない時の緊急補給(?)に時々食べるんだけど(自爆)
(いいんだよ・・・結構甘いもの好きなんだよ!酒飲まないし・・・(笑))
この中に1枚づつカードが入っているんです。

このカード、昔から入っているんだけどね。(って昔から食べてるとか突っ込まないように・・・)
6cm×5cmのカードには、風景写真が印刷され、その下に一言添えてある。
実はこの一言が、悩ましい(爆)んだけど・・・
手元にある4枚を順に読んでみると・・・前述のような質問ばかり

えと・・・どれも答えられないんですが・・・(汗)
と言うか、考えさせられる質問ばかり。
これを考えながら食べろってこと?<森永
誰か答えてくれる人居ます?(笑)
答えてくれるなら、掲示板のほうにお願いしますね!(爆)

と・・・冗談言いながらも解答を見つけようとする自分。
何をやっきになっているんだか・・・(汗)
そして、そう考えていながらも・・・次の質問が気になってたりして・・・(自爆)


2002年06月14日(金)

■■■
■■
■ 悩み

人間は悩みを持つ。

自分の事、自分の問題だからこそ、
自分独りが悩み、自分で答えを出さねばならない。
そんな事が多くある。
が、そんな時であっても、
答えを求めるわけでなく、
自分の悩みを人と共有することで救われることもあるはず。
独りで苦しむもんじゃない。

見えない出口を必死になって探そうとしても、
焦れば焦るほど見つからないものである。
あるいは焦ることで、誤った出口を見つけてしまうこともある。
今の状況から早く抜け出したい一心が、その選択を誤らせる。

だからこそ、そんな時は慌てない方がいい。
じっとしていることも一つの方法である。
じっとしていながら、
自分と対話し、自分を見つめ直し、
そして、周りをゆっくり見渡すことが必要だ。
そんな心のゆとりを持っていて欲しい。

例え一条の光が見えたとしても、
それに心を奪われず、もう一度見渡すくらいの余裕を持っていて欲しい。

そして願うことは、
誰かが傍にいてくれている・・・
それを思いだして欲しい。

2002年06月13日(木)

■■■
■■
■ 君は僕の・・・

君が壁にぶち当たったのなら
一緒になって出口を探そう

君がつまづき転んだのなら
僕の手につかまればいい

誰だって壁にあたるし
誰だって転ぶんだよ

そんな時ゆっくり見回してごらん
君は独りじゃないってわかるから

きっと誰かがいてくれる
君に優しく手を差し伸べてくれる

遠慮なんかいらないよ
だって君は僕の友達だから

2002年06月12日(水)

■■■
■■
■ 聞く耳

人の考え、思いは様々・・・
勿論それは当たり前のことで、自分でも理解しているつもりだが、
こうも違うものかと思うようなことに直面すると、改めて感じぜずにはいられない。

自分の考え、思いが100%一致する人・・・
そんな人にはなかなか巡り合えないだろうが、(もしかするといないかもしれないが)
その多くの部分を共感できる人なら確かにいる。
そして人は、その共感できる相手と、共感できる部分を以って友好関係を結ぶ。
反対に、共感できる部分が少なければ少ないほど、相手と反目しあう。

自分の意見をもつこと・・・これは決して悪いことではない。
ただ、自分の意見を押し付けてくるようでは、反発もする。
共感してもらえなければ、共感させようと「詭弁」を繰り返す人がいるが、
それを裏返してみれば、自分の意見に自信のない表れなのか?
そんな人に限って、聞く耳を持たない人でもある。
聞く耳を持った上での論争は、互いに尊重しあえる部分もある。
が、それがないことで感情的に走ることもしばしば・・・
結局そこには、自分だけが正しいという自己中心的な考え方と共に、
相手を受け入れられないという視野の狭さ、そして心の醜さを露呈してるに過ぎない。

人の考え、思いは様々・・・
そんな中だからこそ、いつでも自分は聞く耳を持っていたい。


2002年06月11日(火)

■■■
■■
■ スタジオ

会社の近くにラジオの公開スタジオがある。
FM東京のスペイン坂スタジオ。
ここの夕方の番組で、様々なゲストを招くらしく、
人気タレントの場合には、朝からそのゲスト見たさの人たちが列を作っている。
若い女の子が中心かと思えば、中年、老年など、ゲストによって年齢層も変わる。

朝8時過ぎにはすでに並び始めてる日もある・・・
夕方5時までの9時間弱・・・その根性には感服する。
ちなみに今までの行列でかなり長かったのは、
DAPUNP、ゴスペラーズ、宇多田ヒカルなどなど・・・
あとは、ジャニーズ系も多いなぁ。

会社内では、仕事柄なのか、それほどの騒ぎにはならない
前にガクトや森高が来た時すら、騒ぐやつなど一人もいない・・・当たり前なのか麻痺してるのか。
とはいえ仕事である以上、サインや写真を要求するのも気が引ける。

昔、当時売れっ子だった歌手2人にアポなしでインタビューを試みたことがある。
1人はベテランの歌手で、ものすごく気さくに答えてくれた。
もう1人は、頑として受け付けず「事務所を通せ」の一点張り。
こんなことでも、受け取る印象は変わるもんだ。
まぁ、本人が気さくな人なのに、事務所がうるさいというのはよくある話。
とはいえ、上記の人は気さくでもなんでもなかったがね(笑)
相手がたまたまタレントという職種についているというだけで、
同じ人間なんだから、そんなに格差つけることもないのにと思う。

人は自分に持っていないものを相手に見出し、憧れる。
自分と違うものを持ってる人に惹かれることが多いようにも思う。
あるいは、違う自分をその相手に投影することがあるのかもしれない。
これは、タレントに憧れるということだけではなく、本人を取り巻く現実世界でも同じ事。
何故その相手に憧れるか・・・
それは、「自分探し」に繋がることなのかもしれない。

ちなみに先ほどの2人の歌手。
答えてくれた方は、今でも現役でしょっちゅうテレビでも見かける。
かたや、もう1人のほうは、「1曲歌手」の肩書きをもらったまま、ブラウン管から姿を消した。
やっぱりね・・・(笑)

2002年06月10日(月)

■■■
■■
■ 引越しの結果

引越して2ヶ月以上たった。
ようやく生活のリズムにも慣れてきて、少しは心にもゆとりが出来たかな?

この間、色々考えていたこと。
引っ越して変わったこと・・・

通勤時間が短くなった
睡眠時間が長くなった
家が狭くなった
生活が窮屈になった
自分の居場所がなくなった
車に乗らなくなった
煙草の本数が減った
換気扇族になってしまった
終電が遅くなった
残業が増えた
始発が早くなった
早朝出勤が可能になった
トイレ戦争が始まった
お風呂の追炊ができなくなった
友達が近くなった
大好きなケーキ屋さんが近くになった
ネット時間が長くなった(大爆)
・・・・・・・・・・

結局今回の引越しは、吉なのか凶なのか(笑)
とはいえ、そうせざるを得なかったわけで・・・
悔やんでも仕方なし(爆)

2002年06月09日(日)

■■■
■■
■ ひとり言

実は昨日でこのひとり言も200日目・・・
よく頑張ったと自分を誉め称える反面、色々考える事もある。

一体自分は、何故これを書いているのか?何のために続けているのか?
とまぁ、自分のやっていることに疑問を持ってしまったわけだけど・・・
自分の世界、自分の価値観をここに書き記しているだけで、
それを押し付けているわけでもないはずなんだけどね。
んじゃ自分の価値観を書き記しているのは何のため?それを公表してどうなる?
・・・・・・それがわからなくなっている。
前に「ストレス発散じゃないの?」と友達に言われたと書いた。
それもあったかもしれない。

最近よく耳にするのが「どうしちゃったの?」とか「らしくない」
「迷ってる感じ」「壊れてきてない」など様々な風評。
うーん・・・自分ではよく解っていないのか?<自分の精神状態
ただ・・・そんなに底辺にいるとも思えないんだが・・・
まぁ、最近特にやるせない怒りを覚えたり、自分に対して呆れてもいたけど。
そうみんなに言われるほどに、何かが変わったのだろうか。
特に意識はしてなかったけどね。
バイオリズムと一緒で、好不調の波がある。
で、その波の間隔が徐々に短くなってきている感じかな・・・

思う事は・・・
おそらくここを楽しみに来てくれる方々は、
ある種のイメージを作っているのではないか?という事。
「kazeってこんな奴だよねぇ」というイメージが作られてて、
それにそぐわない「ひとり言」に戸惑ったりしてるのかな・・・
でも・・・これを書き込んでいるのは紛れもなく自分。
色々な面を持ち合わせているであろう自分の姿。
別に姿かたち、変わっていません@たぶん
そして・・・読み手を意識して書くことを始めてしまったとしたら・・・
それは「ひとり言」ではなくなってしまう・・・
まぁ・・・そんなのもたまにはあるんだけどね。
批判・反論大歓迎。自分自身の勝手な戯言なんだから。
ある意味、人の意見は貴重だし、自分にとっても視野が広がると思ってるから。

ただ・・・見えない自分の本心、思いを、書き記す事によって
見つけ出そうとしている・・・そんなことにも実は役立っているわけで、
嘘は書きたく無いし、評価を気にしては書けなくなってしまう・・・
精神科の治療のひとつに、とにかく思いつくままにものを書かせる事があるらしい。
自分が悩んでいる事、考えている事を、羅列でもいいから何かに書き記す事で、
自分自身を客観的に見つめる事が出来るそうだ。
確かにそういった効果はあると思う。
書く事で、自分を落ちつかせる事もあるし、冷静にもなれたりする。
ただ、それも出来ないほどになってしまったとしたら・・・・・・
友達が言うように「穴を掘って叫ぶ」しかないか。


2002年06月08日(土)

■■■
■■
■ 人・・・

自分の言葉に責任を持たない人。
自分の言ったことなど忘れてる人。
自分の意見を持たない人。
自分が絶対と信じてる人。
自分が正しいと言い切る人。
自分勝手な人。
自己中心的な人。

人を利用する人。
人を陥れる人。
人を傷つける人。
人を攻撃する人。

人の気持ちを踏みにじる人。
人の話を聞かない人。
人の意見に左右される人。

言い訳する人。
弁解する人。

騒ぎ立てる人。
掻きまわす人。

嘘をつく人。

人は様々、人間色々・・・
つくづく色んな人がいるもんだ・・・

そんな人が嫌いだと思い返せば、
自分の中にも、そんな人が確かに存在している・・・

あぁ自己嫌悪・・・・・・



2002年06月07日(金)

■■■
■■
■ もうひとりの自分へ・・・

あなたの嘘は
   聞き飽きました

あなたの言い訳は
   聞き飽きました

あなたの言葉を
   信じられません

あなたの行動を
   信じられません

人に何かを言う前に
自分自身を見つめてください

人に優しく接する前に
自分自身に厳しくなってください

もうひとりの自分へ・・・


2002年06月06日(木)

■■■
■■
■ 離婚

かつての部下から離婚相談を受けていた。
彼は結婚8年。子供2人。
とりあえず、お互いに愛情のないままに仮面夫婦を続けるという結論を出したようだ。

それにしても、俺としては何だか納得できない。
所詮、他人の家庭。俺が口を挟む事ではないくらい重々承知の上なんだけど。
彼と彼女の結婚は当初から危ないものだった。
出会いから一通り見てきて、仲人代わりも務めてきたから、
奥さん側もある程度わかっているつもり。

細かい事情は、特定の個人の事なんで、ここには書けないけれども、
精神的なすれ違いの生活の中で、ある事情により離婚を考えたらしい。

が、「金がない」というただその理由で、離婚を却下。
仮面夫婦を続ける決心をしたようだ。
当然、家庭内別居。言葉も子供の事について少し交わす程度。
修復も不可能らしい…
しかし・・・

俺が考える、一番懸念することは、二人の子供達のこと。
そんな夫婦関係が、子供にどう影響するか。
子供は天真爛漫で、何もわからない風を装っていても、親の不穏な関係などすぐ見抜くもの。
子供のために続ける仮面夫婦なら・・・それが既に修復不能な関係なら・・・
思い切りも必要じゃないかと考える。
子供の成長に・・・その心に傷を負わせる恐れがある。
そんな傷を負ったまま成長し、大人になった人を何人も知っているからこそ、
子供のために別れる・・・という選択肢があってもいいのではないかと考えてしまう。

ただ・・・それはそれで、親のエゴでもあるんだよな。
「子供のために」が、単なる理由付けでも、逃げ口上でもいけない。
本当に「ため」を思うのなら・・・何がいいのだろうか。
何がいいかは・・・人それぞれ、環境それぞれ・・・

とにもかくにも、子供のために・・・一番いい選択をしてもらいたい・・・

2002年06月05日(水)

■■■
■■
■ 気疲れ

自分はなんでここまで気を使うのかと、つくづく呆れた出来事。

昨日のオーディション会場に向かうバスの中。
早めに行こうと、開始45分前に乗り込んでいたら、
背後から声が聞こえる。
「今日のオーディションはね・・・」
「合格した場合の撮影予定はねぇ・・・」
「クライアントは○○でねぇ・・・」
どうもそのオーディション参加者らしい。

今回のオーディションは、そのセッティングをディレクターに任せてあったため、
どこの事務所から来るのかもわからないし、マネージャーの顔など知るはずもない。
で・・・何を気を使ったかと言うと・・・
振り返れなかった(笑)
面識ないから、別にどうでもいいはずなんだけど。
後ほど会場で顔を見合わせる時に気まずくなるのも嫌だという思いだけで、
後ろを見ることが出来ず、車窓の景色ばかりを見つめていた。

考えてみたら、別にそんなのどうでもいいことだけど、
相手が仕事のことであーだこーだ言ってる最中のところへ、
「どうもはじめまして。。。今回の番組のプロデューサーです」
なんて自己紹介するのも変だし、それこそ気まずいだろう。
なので、結局知らないふりをしたまま、ひたすら到着を待っていた(笑)
内心は、気疲れするわけだと自嘲気味。

何はともあれ、公共の場においての会話というものには注意を払うことが必要だよな。
まして仕事で目的地に近づく車内で、
その仕事先の噂話を、周りに聞こえるような声でするのもどうかとは思う。
聞かれても構わないような内容ならともかく、
相手側の批判話のようなことになれば、注意が必要でしょ。
(実際にそんな話が聞こえてきたもんでね)
どこで誰が聞いているのか判らないからこそ、公共の場においての会話には気をつけたい。
人の振りみて我が振りなおせ・・・かな。

余談・・・
そんな彼女たちも、実際のオーディションでは裏を返したように変身する(笑)
仕事に対する意気込みを、声高らかに訴える彼女たちからは、
先ほどの批判めいた言葉など窺い知れない(爆)
まぁ・・・どこでもある話だけどね・・・


2002年06月04日(火)

■■■
■■
■ 夫婦愛

先日、作家眉村卓氏の奥様が、ガンで亡くなったそうだ。

1997年6月に、余命1年と宣告された奥様に対し、
「患者の気持ちが明るくなれば、病気にもいい」と聞いた氏は、
一日一編のショートストーリーを、奥様のために書きつづけたそうだ。
その数、実に1777編。
「日課・一日3枚以上!」目標に掲げ、
1777日間欠かさずに書き続けた氏の労力はいかばかりか。

作家として、物を書くのが生業とは言え、
それだけの期間を毎日書き続けることには、感服の思いである。
同時に、そこまで深い夫婦愛に少なからず感動を覚える

書き続けることは並大抵のことではない。
その苦労に思いを馳せても、想像外の苦難であったと思う。
そこには妻への思いやり、妻への愛情がなければ出来ぬこと。
「生き抜いてほしい」という氏の願望が、そこまで駆り立てたのであろうと思う。
その結果、1年の余命が5年近く延びたことは、氏の努力と夫婦の結びつきの表れであろう。
ある意味・・・すごい夫婦愛だと思える・・・
殺伐として、夫婦間の希薄さばかりが目立つ現代にあって、
「これぞ夫婦」というその真の姿を見せてくれた気がしてならない。

ご婦人のご冥福をお祈りいたします・・・


2002年06月03日(月)

■■■
■■
■ テロップ

先日仕上がった番組に、地元の小学生6人に出演してもらった。
子供たちにも台詞を与え、番組上重要な役割を担ってもらった。

仕上げも架橋に入り、完成間近になった頃、
子供たちの名前テロップ(テロップ=字幕のこと)を出してあげようと言う話になった。
○○学校○○○○さんと、番組内に入れてあげれば喜ぶのではないかという安直な発想。

がしかし、現実はそうはうまくいかなかった。
学校側の配慮もあったのだが、
番組中に名前を入れるということは、今の世の中では、危険を孕んでいる。
悪しき心の持ち主が、その子の保護者代理となって学校側に電話をすることは簡単なこと。
実際そんな手口で行われた誘拐事件などもあったと記憶している。
そこまで、学校側もクライアント側も責任を負えるものではない。
なんだか悲しい世の中だけどね。

制作者サイドの我々にとっても、自分の名前テロップが画面に出ることに、
ある種のステータスを感じる人も多い。
自分の名前を、ブラウン管を通じて発見することは、結構嬉しいものだ。
そういう自分も、初めて出たときは嬉しかったなぁ・・・

そんな喜びも与えられず、最終的には小学生の名前はのせなくなった
それにしても、せちがない世の中だ・・・


2002年06月02日(日)

■■■
■■
■ 変身願望

人間は誰しもが変身願望を持っていると思う。
今の自分じゃない自分。
日常生活で四六時中、そして生まれた時より付き合ってきた自分。
もしも自分が○○だったら?・・・そんな想像をすることは誰にでもあることだろう。
そしてまた、違う性別への憧れというものもある。
もし自分が女性だったら・・・もし私が男性だったら・・・
リアルの世界においてもよく聞く話だ。
有名企業の管理職が、女装して街を闊歩する・・・
今では、そんな話にも驚かなくなった。

では、ネットの世界ではどうであろうか?
所謂ネカマさんになるわけだが、果たしてこれはいけないことなのだろうか?
一般的には、あまり受けいられていないのが現状のようである。
ネット上で、相手を騙しそれをあざ笑ったりとか、あるいは女性のプライベート情報を
聞き出して、近づく・・・
これは、確信犯的であり、かなり悪意を持って行う場合である。
ネットという匿名性の世界の中では、なかなか見破るのも難しいことだろう。
だからこそ、ネカマの評判が悪いといっても過言ではないだろう。

がしかし、前述の女装趣味の方々にも、それになるきっかけは様々あったと思う。
同様に、ネットの世界でそれになる理由は様々あるのではないか?
悪意の持ち主は当然いるとしても、純粋に「自分の女性版」に憧れる人もいるかもしれない。
素朴な疑問だが、現実世界で「オカマ」「ニューハーフ」と呼ばれる方々は、
ネット世界ではどういう発言の仕方(男性なのか女性なのか)をするのだろう。
もし仮に、ネカマが非難される対象にあって、みんなが否定したとすれば、
それは現実世界の「オカマ」「ニューハーフ」をも否定することにはならないか?
彼らにだって人権はあるし、人それぞれ生き方も違う。

確かに、ネカマに対して女性は同性としての安心感から、プライベートなことを話してしまう。
そんなことがあるからネカマは危険なんだと言う人もいるが、それもどうだろう。
その考え方を否定するものではないものの、自分としては、大声で賛成とも言いがたい。

例えば性別詐称ではなく職業詐称ならどうか?
医者になりきった人間が、女性のメンタル部分を聞き出す、あるいは話し出すことはないか?
あるいは弁護士になりきった人間が、プライベートなことまで聞き出しはしないか?
要は悪意を持った人間は、言葉巧みに誘導することで、相手の情報を聞き出すということ。
そこには性別も職業も関係ないと思う。

また同時に「騙される方が悪い」とまでは言わないものの、相手を信頼しきって
自ら語ってしまったことについては、一概に相手を責めきれないようにも思う。

とここまで書いてきて、じゃあ一体何が言いたいのかといわれれば、
ネットの世界においてもネカマの存在は認知しても良いのではないかということ。
私の知ってるチャットでは、そこの常連なら誰でも知ってるネカマさんがいる。
で、その事実をみんな受け入れた上で、楽しい会話をいつもしていた。
それでいいのではないかと考える。

ネカマがチャットにいたからといって、「騙された」と烈火のごとく怒る方々もいるが、
実害あってこそ排除活動すべきであって、実害もないのなら拒否する道理もないのでは?
実際に、「この人にこんな事をされた」と被害者が現れるのなら話は別なのだが。

被害者もいないのに騒ぎ立てて、怒りまくる男性諸氏・・・
もしかすると、ネカマと知らずに口説いてしまった己の恥を、一生懸命隠すことに必死になっているのでは? 
そう勘ぐりたくもなってしまう。

2002年06月01日(土)
≪ ≫ 初日 最新 目次 MAIL


My追加